2009/10/28
ご無沙汰です。
掲示伝道句解説です。
「誠の心」について・・・
保険の外交員をされていた方から伺った、ハッとさせられた一言です。

『観無量寿経』には、行者が修すべき心がけの一つとして「至誠心;しじょうしん」が挙げられています(←表面的には自力となりますが、親鸞聖人の解釈では『無量寿経』の至心と同一とみなし、他力の心が顕れているとします)。
法然上人は『黒谷上人語燈録』巻第十一「往生大要抄」に、
一には外をかざりて 内にはむなしき人
二には外をもかざらず 内もむなしき人
三には外はむなしく見えて 内にまこと(誠)ある人
四には外にもまこと(誠)をあらわし内にもまこと(誠)ある人
かくのごときの四人の中には、前の二人をばともに虚仮の行者というべし。後の二人をばともに真実の行者というべし
と示され、「内外不相応」という私たちの状態を分析されました。具体的には念仏を主体・媒介として誠の心が人や社会に広まれぞかし、という願いが含意されているのでしょう。
人は誰しも先生なり、親なり、上司なり、身近な人の言動・理念に感化されます。それらは偶然なのか、必然なのか、ひとえに【縁】によります。
親鸞聖人は誠の人である法然上人に強烈なまでに影響を受けられました。勢至菩薩の化身と仰ぎ、自分を殺して仏道を極められたのです。
私たちは上司なり、配偶者なりに対し、敬愛の心・至誠心を以て接しているでありましょうか?誠の心を願っているでしょうか?浄土真宗の人は「どうせワシら凡夫やから・・・」と勘違いされていないでしょうか?
昔の譬え話に、磁石(信心ある人)に近づけた金属(無信心の人)は、やがてそれ自体磁力を持ち、他の金属を引き寄せる、とありました。信用は無限に信用を生んでいくのです。

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