2011/3/15
「ただ憐愍すべし」
地震にて恐ろしい日々が続きます。
緊急地震速報のアラーム音が不気味です・・・。
でもこの苦難は遠くない未来に乗り越えられます。
和を尊び、皆で耐え忍ぶ国民性は、
何よりの日本の資産・エネルギーです。
普段は阿弥陀如来に願い事・祈祷をしてはならない、とされていますが、それは“利己的な願いによる煩悩を批判”するからです。
かつて親鸞聖人も祈祷のため浄土三部経の千回読誦をされたようです。
世の安穏を如来と共に願うことが、今、求められていると思います。

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投稿者:釋行精
でしゃばったマネをいたしまして申し訳ございません
御無礼をお許しください
投稿者:管理人・釋 世雄
ご指摘・補足のほどありがとうございます。
表現が不十分でした・・・
タイトルには“す”が抜けていました。
レンミンすべし、です。
投稿者:釋行精
「憐愍べし」ってなんて読むのでしょうか?
れんみんべし?
あわれむべし?
>かつて親鸞聖人も祈祷のため浄土三部経の千回読誦をされたようです。
ということですが
これを読み勘違いされる方がいらっしゃると申し訳ないので、補足させていただきます
「親鸞聖人は、かつて比叡山の修行において読誦の行をつみかさせていた習慣によって、何気なく『浄土三部経』の千部読誦をはじめられたようである。しかし、専修念仏者にとって称名よりほかになすべきことはなく、ただ念仏によって救われることを一人でも多くの人に伝えることこそ本当に人びとに幸福を分ちあうことができるのだと思いかえし、(千回読誦を)中止されたという。」
また聖人が発熱の為苦しんでいた時も大経をたえまなく読んだことがあるようです。
「十七、八年前に『浄土三部経』を千部読もうとして中断したことがある。あのときの経を読もうとした心が、まだ少し残っているのかなと思い、比叡山で長年にわたって修めた自力の行への執着というものはなかなかぬぐい去ることのできないものであることを知らされた、としみじみ語られたと恵信尼さまは記している。」
上記「」部は親鸞聖人〜その教えと生涯に学ぶ〜の中で『第一章親鸞聖人のご生涯』として千葉乗隆先生が書かれているものを引用させていただきました。