2011/11/16
『宗祖讃仰作法』音楽法要和讃・第2種
煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきこおなくて つねにわが身をてらすなり
我々凡夫からは、煩悩という分厚い色眼鏡があるため、如来の救いの光を見ることはできないが、如来大悲の光明の力はいかなる煩悩の色眼鏡をも透過して、私たちを照らし、救うのである。
これは「正信偈」の
貪愛顛憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇煩悩の雲が真実信心の天を覆うも、実際の雲が空に覆っていても、太陽の光は大地に降り注いでいる(ように、如来摂取の光明は我々に届いている)。
並びに
煩惱鄣眼雖不見 大悲无倦常照我
と、関連していることは言うまでもありません。
「ものうき」とは、わずらわしいと思うことなく、です。

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