2014/6/16
『本願寺新報』6月10日号・4面に、住職が載っています。とはいえ、安穏殿に参集した大勢の中の一人としてですが、真ん中辺りで殊勝そうな顔して読経しているのが私です。

今号の新報は永久保存版として大切に保管しよう。
ところで前ご門主さまは、公的な『退任に際しての消息』とは別に、6日には「お言葉」として最後の御挨拶をされました。
新報・3面でも全文掲載されておりますが、生で聴いていてもハッとさせられたのが以下の文。
「・・・この際、一つだけ、希望を申します。私たちの宗門は長い伝統がありますが、それだけに、いささか閉鎖的になり、仲間が増えることを喜ばない場合があります。御同朋とは、一切衆生であるという考えもあります。現実的に考えて、そこまでは難しいとしても、同じ、宗祖のみ教えをいただくもの同志、広いこころで新しい朋(とも)を受けいれていきたいものです。」
と仰いました。
うーむ、「いささか閉鎖的、仲間が増えることを喜ばない場合がある」とは如何に。
具体的には、新しい寺院を作ろうと志を起こされても、組内が結束して断固反対するだとか、門徒(檀家)と信徒の間で温度差が生じ、寺院活動がギクシャクする、などといった事象を悲しく思われておられるのでしょうか?
先の記事にて「門信徒会」という組織について少し触れましたが、これは宗門がかれこれ50年近く前に提唱した運動で、文字通り旧来の門徒と、地方から次男・三男の身として都会に出てきて新たに仏縁を結ばれた方々、すなわち「信徒」が一緒になって、寺院を活性化(要は近代化)させようとして始まりました。
が、必ずしも上手くはいかなかったようです。これを本気でやっておれば、新宗教に流れていった人を念仏の輪の中に留めておくことが出来たはずです。
ご承知のように、S学会とか何とかに入信している人のほとんどが、家督を継ぐ必要のない次男・三男以下なのですから。
であるがゆえに、巷では1000万門信徒だとか言って巨大だとか言っておりますが、1億2000万人の中の十分の一すらないのですから、教義の普遍・永遠性からいってもかなり少ない、念仏者の芽はかなり枯れていった、と見なければならないでしょう。
当門さまの時代は、
@ 少子高齢化対策
A 葬儀の簡略化等にうかがわれる、世間の無関心化
B 僧侶の意識改革・世俗化問題
C 参拝者数減少・懇志収入減対策
等々、次の30年は社会の構造変化の影響を仏教界がまともに受ける時代となると見ております。各寺院でも状況は同じです。
まったく新たな縁を結んでいくのは難しいでしょうから、今一度お寺に集う有縁の方々を強固に結び付けていく施策が必要となってくるでしょうね。今のうちにあらゆる種を蒔いておいた方がいいですよね。
真光寺では先先代・先代が十分な種を蒔いておいてくれたから、その恩恵を門信徒が受けていると思われます。私が今、チマチマとやっていることも、次世代で開花することを願ってやっております。
それが「伝統を受け継ぐ」ということです。

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