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2017/6/13
「二楽荘雑感」
良書・良音紹介
なんばのジュンク堂書店で、久しぶりに諸々の本を物色中・・・。
国書刊行会刊・和田秀寿編著『二楽荘史談』(3,600円)を購入。
私は建築モノが好きなのですが(今回も数寄屋建築の本が目当て)、我らが宗門にとりまして伝説の建造物が、本願寺第22世法主・大谷光瑞(以下;信英院様)猊下の建てた「二楽荘(にらくそう)」なのです。
信英院様には一言で言えば、教団の近代化(御尊父・明如上人の頃より)に尽力された、ということなのであります。
殊に「大谷探検隊」で名を馳せることになりますが、私はそういう文物関係には疎く、探検収集品の展示目的も兼ねて建造された「二楽荘」に多大な関心を寄せる者です。
「二楽荘」とは“海と山を楽しむ”という意味で伊東忠太が設計した印欧風の豪奢な建物です。別荘などという規模ではなく、なにせ英才教育のための私塾である武庫中学校を併設し、園芸試験場(メロンの栽培)、測候所、印刷所などを設置して教育・文化活動の拠点としたのです。
我々僧侶の目線からはいつもの悪いクセで【仏教モダニズム;近代化】という近視眼的視点しか持ちえませんが、編著者の和田氏は【阪神間モダニズム】という視点を交錯させて、二楽荘を論じている点が興味を引くわけです。信英院様を理解するにはより大きな視座が必須です。
設計の伊東忠太(築地本願寺の設計者でもある)は二楽荘を「本邦無二の珍建物」と評し、総面積24万6000坪を有し、麓からのケーブルカー3本もありました。
室内はインド室・支那室・アラビア室・エジプト室等々・・・このあたりで「これのどこが教団の近代化と関係があるのだろうか」、との疑念が湧くわけですが、それは凡人の考え方
。
とにかく破格の文化施設なのでありました。
しかし第三次大谷探検隊をはじめとする教団事業の出費がかさみ、大谷家の負債が表面化するとともに信英院様には本願寺住職・浄土真宗本願寺派管長を辞任するにいたって、以後、二楽荘は大阪住吉の久原房之助に売却されました。が、管理も行き届かず築わずか25年の昭和7年10月18日の未明、不審火にて消失。・・・まことに栄華盛衰の途を辿ったのでありました。
和田氏のいう【阪神間モダニズム】という視点ですが、阪神間とは、ほとんどが兵庫県ですが宝塚・武庫川・西宮・芦屋・神戸あたりは、やはり今でも他所と違うんです。経済的に裕福だとかいう話ではなくて「開明派」とよばれる華麗なる人々が集った地であって、サロンと称する集いがあちこちにあって情報交換・文化交流が盛んだったんでしょう。
おそらく信英院様には京都の本願寺にましましては息の詰まる思いであったと推量されます。
我が地元、堺もいいところまでいったのですが、そういう気風の人々は散逸しました。堺は昔も今も進取の気概はありません。京都もそうかな。
さて、信英様にはなんと二楽荘のみならず、中国の大連(浴日荘)・上海(無憂園)や台湾の高雄(逍遥園)、インドネシア(環翠山荘、耕雲山荘)などに別荘を設けられたのです!?もともと現在の須磨離宮公園もその1つで、宮内省が買い取った代替地が岡本の二楽荘なのでありました。もう、ワケが分かりませんっ
晩年の地・別府でも居を構えられ、国際観光都市建設を目指し、行政と連携して近代化を企図されたことはなお注目すべきでしょう。
信英院様には法主・僧侶としての一面が希薄なようにも思えますが、以下の書物を以て、かかる疑念を払拭できるでしょう。これは二楽荘自前の印刷所で印刷されたものです。
・・・これが何と真光寺にあるのです。祖父が持っていたのです。今では大変な稀少書でしょう。
『大無量寿経義疏』
装丁がスゴイのです。本革張りにて、本紙はフランス舶来の水彩画用紙、万事こういう調子で二楽荘が成立していたのでしょう。手に取り感慨深いものがあります。
モダニズム、という計り知れないエネルギーを感じるのでありました。現代は精神的には廃墟の時代ですね。上も下も日和見主義で「気概」というものがありません。信英院様は嘆いていらっしゃる。
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タグ:
二楽荘
大谷光瑞
信英院
投稿者: 管理人 釋 世雄
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