2006/8/20  2:10

「下野 歴史の謎に迫る」(21)  連載「下野 歴史の謎に迫る」

「男体山登拝大祭」

 栃木県の最高峰男体山は、古代から聖山として信仰の対象となってきた。

 8月1日深夜0時、男体山の麓にある二荒山神社中宮祠(海抜1,280m地点)から、千人の人々と共に2,486mの頂上を目指して登山を開始した。

 途中からほぼ直線に登って行く道は非常にきつく、登頂には平均時間の2倍の6時間を要した。登山中、肉体的に苦しくなってくると、不思議と家族や周囲の人々のことが思い浮かび、彼ら一人一人への感謝の気持ちが沸々と沸いてきた。更に、断末魔の叫び声をあげながら、一歩一歩大地を踏みしめて更に登ると、次第に二荒山神社のご神体である「山の神」との一体感を感じさせて頂く様になり、それ自体が強い推進力となって私を後押ししてくれた。

 山頂では日光修験道代表の伊矢野美峰師に取材を行い、今日登ってきたルートが、日光曼荼羅の中心たる中禅寺湖(出発点)と男体山であることを知る。
 
 山中で計14時間歩き回り、午後2時5分中宮祠帰着。途中、慈雨が降るなか、大きな岩の上で瞑想したりしながら下山。気がつくと、ズボンの尻には25cmの裂け目が出来ていた。
 
 以下は、写真による記録である。(8月4日付東京新聞栃木版掲載)

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 丁度、執筆中、当日、日光修験道を取材に来ていたドイツ人カメラマン、ラルフからメールが届いた。正直言ってラルフが押したり引いたりしてくれなければ、そして金剛杖がなければ、私の登頂は無理だった。初来日、それも2日目だったこともあり、重い機材を背負った彼こそ大変だったのに。私たちは、アラブ世界に生活してアラビア語が話せると言った共通点があり、初対面で一瞬にして意気投合したのだった。彼が送ってくれた頂上で山伏たちと太郎山神社に向かって祈る私の顔を見れば、当日の厳しさがわかって頂けるに違いない。
クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(c)r.maro
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ