目も大分回復してきたので、そろそろ映画を観てみようと思いDVDを借りてきた。今までは国会中継やニュースなど映像としては流して観れるものしか観ていなかったが、映画のように画そのものを集中して鑑賞するのは患ってからは初めてである。
何か憂さを吹き飛ばすような作品が観たくて、若き日のクリント・イーストウッドが監督した「アウトロー」を観ることにした。「荒野の用心棒」や「ダーティ・ハリー」などの彼のアウトロー振りには若い頃憧れたし、監督作品である後年の「許されざる者」や「ミリオンダラー・ベイビー」なども大好きである。
そんな中この「アウトロー」だけはたまたまチェックし忘れて今まで未観だった。
若きイーストウッドのしかも「アウトロー」というタイトルとくればどんなハードな作品かと思いきや、この映画はなんともほのぼのとした味の「いい映画」であった。
南北戦争時代のアメリカ南部、北軍に家族を殺されたイーストウッドは復讐を誓い南軍のゲリラ部隊に志願する。やがて南軍は北軍に敗北し、イーストウッドの所属するゲリラ部隊も降伏を迫られるが、イーストウッドは辞退。やがて降伏した仲間も北軍の策に嵌って処刑され、一匹狼となったイーストウッドは北軍からも南軍の残党からも命を狙われるようになる。
ここまでは従来の彼のアウトロー路線を彷彿とさせる展開だが、たったひとりで軍に追われながらも仇討ちの旅を続けるイーストウッドはどこか人格者で、その徳によってゆく先々で老人、女子供、インディアンなどといった弱者が仲間に加わり、次第に大所帯になって行く。この展開はハッキリ言って予想だにしなかった。やがては皆一緒にあばら家に住み着いて自給自足の家族のような共同体を形成する。そして、アウトローであるはずの主人公は共同体の生活で得られる安泰と、自身の復讐心との間で板ばさみになり悩む。
そう、これはそれまでのイーストウッドのこわもてアウトローというイメージを逆手に取った映画なのである。もっと言ってしまえばアウトローを演じ続けてきたイーストウッド自身の人間くさい迷いを吐露した映画だと言ってしまえば勘ぐりすぎだろうか?
やがては彼を狙う賞金稼ぎたちが家を嗅ぎ付けて襲来するのだが、その時は老人や女といった今まで弱者だった者たちが銃を手にとってイーストウッドを守るのである。
彼は最早一匹狼ではなく共同体の支えによって守られているのである。無論彼も仲間を守るために戦う。この「アウトロー」の根底に流れるのはこういったヒューマニズムである。
ラストシーンで彼は自分を追っていたかつてのゲリラの仲間に出くわす。仲間は今では北軍に雇われイーストウッドの命を狙っている。しかし、その仲間は街人たちにイーストウッドが慕われていて皆が彼を庇おうとしているのを見て、彼を見逃す。この見逃し方が実に粋で、ちょっと日本の講談っぽいのだ。
最後に仲間はイーストウッドにこう呼びかける。
「みんな戦争の犠牲者なのさ」
お互いのボスが違えば今は殺し合う運命にあっても、長い目で見ればどちらも戦争の犠牲者である。イーストウッドは近年、「父親達の星条旗」と「硫黄島からの手紙」という日米双方の視点から戦争を描いたが、その思想はこの「アウトロー」の頃からぞっと一貫していたのだ。
監督としてのイーストウッドは渇いたタッチではあるけれどやはりどの作品にも根底にはヒューマニズムがあった。それはもしかしたら若い頃、非情なアウトローを演じ続けて来た末に形成されたものなのかもしれない。
「許されざる者」や「ミリオンダラー・ベイビー」の素晴らしさにはまだ及ばないが、この「アウトロー」はそういったイーストウッドの原点が垣間見える非常に興味深い作品であった。
ちなみにピントの合わない目で二時間集中して画面を観るのはやっぱり疲れた!

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