知り合いの芝居を観に行った。なかなか良い役者が揃っていて楽しめたのだが、個人的には(生理的に?)どうしても受け付けない台詞があり、それがこの演目の根本のテーマにもなっているようなので(パンフレットの挨拶にも使われていた)、残念ながら良い印象は残らなかった。
「二十歳の時の自分と、今の自分と、どちらが正しいと思いますか?」
この台詞、最初は「若い頃はいくら自分が正しいと信じていても、それは一元的な見方で、年を取るにつれて色々なものが見えてきて判断も変わってくる」というくらいの意味かと思っていた。ところがどうもそうではないらしい。
「二十歳の頃の純真なモノの見方は100%正しい!それ以降は大人の不順な判断で圧倒的に間違っている!」
どうもそう本気で言っているらしいのだ。
まぁ、個人的にそう思っている人も中にはいるだろうし(私は苦手だが)、芝居の登場人物の台詞として出てきても別におかしくはない。でも常識的に判断して少数意見だと思う。
私が違和感を覚えたのは、上の発言に対し登場人物の大人たちが皆押し黙ってしまい、誰一人反論できないという描写だった。苦笑しているのではない。皆本音ではそう考えているが、それを騙し騙し生きているので反論できないという描かれ方だった。国家権力を背負っているという設定の人までそう言われて押し黙ってしまった。これが強烈な違和感となって心に引っ掛かった。
私の感覚から言って「今の自分より二十歳の自分の方が正しい」なんてことはありえない。
これは自分自身の体験によるので偏見も入っているとは思うが、二十歳の頃というのは一番世の中をなめていて図に乗っている頃ではないだろうか?残酷なまでに他人の痛みに鈍感で、自分を生かしている社会や環境にも無知で無関心で、そのくせ自分の意見が120%正しいと信じて疑わない。私の場合はそうだった。もちろんそうでない方も沢山いるだろう。しかし、私が観た芝居の若者(二十歳ではなく女子高生だったが、先の「二十歳の自分と〜」発言は彼女を庇ったおばさんの台詞)は少なくともそうだった。
若さというものは「愚かなこと」であると思う。それはそれで良い。若さという間違ったパワーを描いたフランスのヌーベルバーグやアメリカン・ニューシネマや長谷川一彦監督の名作は今でも心を打つ。しかし、そこには若さというものは絶対ではないという視点がちゃんとある。主人公たちも大抵は間違ったパワーを間違った発散の仕方しかできず最後は自滅して行く。そこにカタルシスがあるのだ。
若いパワーだけで突っ走ったら自滅する。そこから立て直すのが人生というものなのではないか?
愚かで間違っていた二十歳の頃の私も例外なく社会に出てから、様々な失態を晒し、恥の上に恥をかき、つぶされもまれながら段々と目が覚め分別がついてきた。現在でもまだまだ発展途上だと思っている。
そう認識している私にとって、「二十歳の時の自分が正しくて、今の自分が間違っている」という意見は、「太陽は西から昇って東に沈む」「水は低きから高きに流れる」「ロールスロイスよりうまい棒の方が高価である」と言っているのと同じくらいの違和感を感じてしまった。

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