嵐に打ち勝つ術はない。ただ堅く窓を閉ざして過ぎ去るのを待つ他はない。
そして、再び太陽のもとに歩み出た時、私は34歳になっていた。
34歳…何か特別な響きを感じる。
34歳は、33歳や35歳とは明らかに違う気がする。
根拠はないが、確実に章が変わった。
17歳の春、私の人生が動き出したのを感じた。自分の運命を歩むために必要な仲間たちと出会い、感受性を決定付けるような映画や音楽や本と出会った。それまでの人生は序章に過ぎなかった。空や樹木や街の色彩が一新され、それが自分の血となり骨となって行くのがはっきりと感じられた。
22歳の時、私はそれまでの自分と決別を告げ、まったく新しい自分になろうと決心した。若気の至りのまま勢いだけで突っ走ってきた青春は見事に崩壊し、一握りの仲間と名ばかりの劇団しか残らなかった。私はまったくのエンプティだった。
しかし、エンプティであるということは裏を返せば無限の可能性があるということだ。
私は元の自分から一歩でも遠ざかるため、再び更新された風景の中を歩み始めた。
もちろん、完全に違う人間に生まれ変わることなどできるわけはないのだが、新しい出会いは確実にそこから始まった。
それから、12年が経った。時間がひとまわりしたのだ。気付いてみれば、何のことはない。今でも私はエンプティだ。私は何者にもなっていない。
それもそのはず、ずっと私は何者になることも望んでいないのだから。
28歳の時、これは「ヒロムの生活」を経て「石山海と劇団火扉」のスタイルがようやく形になってきた時期にあたる。それまでの様々な試行錯誤と固定してきた創作チームによって「火扉色」なるものが形成されてきた。今までの内輪の世界からようやく外部へとコンタクトを始めた頃だった。世界が一新されるような劇的な変化があったわけではないが、やはり新しい出会いと流れがそこから生まれて行った。
それから6年。様々な事情によりその頃の創作チームは分解し、劇団は再び流動化した。残ったのはやはりエンプティだ。
31歳の時、初めて自分の夢と現実の壁に突き当たるような事件が起こった。初めはそれを認めまいと自分なりに抵抗を試みた。しかし、動けば動くほど以後はその連続である。周りから評価される時もあるし、されない時もある。結局、それもまったく別の次元の話である。
3年が経った今思うのは、結局自分が何を求めるか?という所からしか始まらないということだ。正しく求める心があれば恐れることなどないはずなのだ。現実の壁を恐れるあまり自分に嘘をつけば、さらに自分を強張らせることになる。足もすくんで何処にもいけなくなる。心無い人の言葉や偽りの情報など、世間にはその種のトラップが沢山ある。しかし、もともとエンプティなのだと思えば、怖い物などないではないか。
私の場合で言えば、どうも人生というものは6年、大きく別ければ12年、細かくて3年といった具合で更新されるように思える。これはひとつの主観である。
しかし、自分自身が更新されるわけではない。その流れに乗って行くだけである。
個人の努力とか環境とかは、また全然別の次元の話だ。
…そして、私は34歳になっていた。

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