私の母親姉妹は高校生のころ「THE BEATLES」の熱狂的なファンで、彼らが来日した際には厳しい祖父母の目を盗んで家を抜け出しコンサート会場に駆けつけたこともあるそうだ。
そんな影響もあってか私も中学生くらいからビートルズを聴き始めた(私が現在ロスで暮らしている母方の叔母さんに猫可愛がりされ大きな影響を受けたことは以前にも書いたと思う)。毎日歌詞カードを眺めながら家で歌っていたので私の英語能力は格段にアップした(現在その能力はすっかり錆びついている)。当然、訳詩などから歌詞の内容を理解し関連する書籍や映画を観て彼ら(特にジョン・レノン)の思想性にも影響されるようになった。
反戦、平和、自由、反国家、無宗教、夢想家、理想家、イマジン、イマジン、イマジン…。
まだ世間を知らない子供にとってはハシカみたいなものではないだろうか?
とにかくビートルズもしくはジョンレノンは私の十代前半の生きる指南となっていた。
さて、このころの影響が今でも残っているかというと実は殆ど残っていない。
「キリング・フィールド」という映画があった。サイゴン陥落後のカンボジアが舞台のなかなか見応えのある映画だった。共産ゲリラポルポト率いる「クメール・ルージュ」がクーデターによって政権を取ると主人公(外国人記者の通訳をしていたカンボジア青年)は仲間の外人記者を頼って海外に脱出しようとするが失敗。農地改革の働き手としてキャンプに送られる(国民全員が農地に強制的に駆り出されていた)。キャンプは正に粛清と密告とリンチが日常的に行われていて特にインテリ層が狙われた。通訳をしていたことが判れば自分は間違いなく殺される…そこで主人公はオシに成りすまして難を逃れているが、やがて脱出に成功(逃亡の最中、人骨がゴロゴロしている沼にはまるシーンは凄くリアルだった)。海外に亡命し仲間の記者と涙涙の再会…という展開なのだが、映画ではこの再会シーンでジョン・レノンの「イマジン」がかかっていた。
…私は思わず「これはギャグか?」と思った。
「想像してごらん 天国なんてない 地獄もない
宗教もない 国家もない 財産もない
全ての人々が今日を生きるだけ…」
…これは主人公を迫害していた張本人「クメール・ルージュ」の理想じゃないのか?いや、厳密には違うのかもしれないけど映画を観ているかぎり私には重なって見えたぞ。
「飢餓や欲望は必要ない 殺し合う必要もない 人類は皆兄弟なんだ」
想像の中では美しい言葉だが、現実にはその美名のもとさらなる略奪や迫害、殺し合いが行われていることを多くの人たちは気付いている。
もちろん「キリング・フィールド」は大名作であるし、監督も恐らく感動の場面としてあの曲を使ったのだろう(カンボジアの惨状を世界に伝える役割もあっただろうし)。しかし、この選曲がギャグであっても何の問題もないと思う。むしろちょっと深みが出ると思う。ちなみにエンドロールの曲は「アルハンブラの思い出」のアンビエント・ヴァージョンだった。
世界が平和になってほしいとは思う。思わない人なんていないんじゃないか?でもイマジンしているだけで、世界平和はやってくるのか?むしろ、世界が平和になるなんてことはあり得ないのだから所詮イマジンするしかないって意味か?
二十代になってから私の中でジョン・レノンの空白を埋めたのはボブ・マーリーだ。ボブは戦うことから逃げない。自立と尊厳のために人は戦わなくちゃいけない時もある。こういったボブの姿勢の方が現在は共鳴できる。
ジョン・レノンは20世紀の生んだ天才音楽家であることは間違いない。ただその思想がたまたま私の中には残らなかっただけだ。
そんなわけで今日の一曲は、ボブ・マーリーの「Get up,Stand up」




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