夕方でバイトを終えると、そのまま「DANROP」に跨って二子多摩川まで走る。
河川敷に降りて野球のベースやサッカーゴールの並ぶだだっ広い芝生に立つ。
見上げればプラネタリウムのように空を仰ぐことができる。
ここは私にとって特別な場所だ。
高校時代、演劇部の二度の公演の打ち上げをこの河川敷でやった。青春時代のかけがえのない仲間達と朝まで語り合った思い出の場所。
22歳の時、エンプティになった私はこの場所で新しい自分自身を築くことを誓った。
「憎まれっ子世にはばかるでいいじゃないか」私の傍らにはやはり様々な事情でエンプティになった女がいた。恋人でも彼女でも友人ですらなく、当時その女は同志だった。人生のこぼれ加減が同じだった。誰もいない五月の深夜の河川敷、新しい自分の門出を祝うため我々ふたりはアホのように踊っていた。まるでそれまでのペルソナを振り捨てるかのように(傍から見たら滑稽だっただろうな)。
26歳の「断食の旅」に出る時、この場所を出発点にした。単に青春時代の思い出の場所ではなく、自分自身が生まれ変わろうと誓った約束の地、自分だけの「聖地」にしようと決めた。サッカーゴールにかこまれた芝生の中に全財産の五百円玉を埋めた(当時は本当にそんな生活をしていたのだ)。三日間の断食を終えて帰ってきたのもこの場所だった。
今回の「タフでワイルド」な旅も、ここから始まりここで終わらなくてはならない。
既に日が暮れかかっていた。空を見上げる。
そうそう、この感じだ。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青きを極めん」
備え付けの簡易便所で身支度を整え、「DANROP」に跨り漕ぎ出す。
出発。
椎名林檎の新しいアルバム「三文ゴシップ」を聴きながら多摩堤通りを飛ばす。最高。
川崎まで快適に走る。今の所「DANROP」の調子もいい。
せっかくだから川崎市民館近くで「アホーメン」のニンニク大盛を食す。今のうちからスタミナをつけておかなくては。
横浜まで来た。みなとみらいまで来た時、そういえば「横浜市街戦」のコンテナ劇場は今どうなっているんだろうと覗いてみる気になったのがいけなかった。ワールドポーターの前の複雑な信号を急いで渡ろうとした時、ギアチェンジャーが外れてしまった。しかも真ん中のレールが半分かけてしまった。さすがは「横浜市街戦」!やはりとことん呪われている(「横浜フリンジフェスティバル」は「〜市街戦」公演以外にもトラブルのオンパレードだった)。
例のコンテナの跡地は相変わらず駐車場で訳の分からないプレハブ小屋が建っている。
隣の港に面した公園の芝生の上に寝転んで休憩。ビョークの「ホモジェニック」を聴きながら港の灯りを眺める。ハマリ過ぎ。星は出ていない。
ルート16を南下。先ほどの衝撃でかなりギアチェンジャーが外れ易くなってしまった。そのたびに降りては油まみれになって修理を繰り返す。くそォ、ペンチさえあればどうにか固定できるのだが…幸先悪し。
港北区に入るあたりで標識が分かり辛くなる。地方に行けば行くほどルート案内板は不親切になるようだ。コンビニで地図を立ち読みしながら進む。くたびれるとマックに入りコーラのSを一杯だけ頼んで、カポーティの「冷血」を読みながら休む。もう少しで読み終わる。
ルート21(鎌倉街道)をさらに南下。鎌倉に着いた時には午前三時を回っていた。
今日はここに宿を取ろう。
もちろん、旅館やホテルなど開いていない。コンビニに入ってキリンラガーとトリスの小瓶を買う。それと塩分補給のためのバターピーナツ。これが今夜の宿代だ。
由比ガ浜まで来て海沿いのベンチに腰を下ろして、ビールを飲む。タバコを途中で落としてしまった。トリスを三口飲むと眠気がやって来た。
ipodで小さくスタイルカウンシルを聴きながら、私は目を閉じた。

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