阿波の土柱
阿波の土柱で一番の見どころ「波濤嶽」
高松市の奥座敷といわれているらしいですが塩江温泉に宿泊しました。この温泉郷の山並みを南に抜けるとすぐに徳島県に入り、近くに国の天然記念物に指定されている「阿波の土柱」があります。
教科書などで写真を見たことがあっただけで「土柱」について何も知りませんでした。運動場などに敷かれているマサ土(花崗岩の風化したもの)でできているのかなと予想していましたが、違っていました。
説明板の案内を記しておきます。
『 阿波の土柱
この土柱は中生代の白亜紀に属する和泉砂岩層であって、やく130万年前の地層が露出しており、この地質は砂岩、頁岩、粘板岩、石灰岩、等によって構成されており、土質の軟らかい部分又は草木の成育の少ない部分が、冬期に連呼する強い西風や急激な雨水によって漸次浸食、下刻されて、雨谷(雨溝)を作り、こうして出来た幾筋かの雨谷は、相互に闘争しつつ、雨毎に岩石や土砂を洗滌、流下して、掘れ溝を、崖の上下に向かって深めてゆく。固い岩石や礫層のある、抵抗力の強い部分だけが、この雨水の浸食を免れて、セメント化し、柱状、突塔状、筍状、屏風状等の土柱を形成しています。
正面に見える土柱は波濤嶽で、昭和9年5月1日に国の天然記念物に指定されています。この他にも、灯籠、不老、筵、橘、扇子の諸嶽、三山六嶽が東西にに散在しています。 』
上記の、中生代の白亜紀に属する「和泉砂岩層」であるということに驚きました。紀ノ川の北に連なる和泉山脈と同じ層なのです。
近くに寄って見てみると、黄色の粘土と砂と礫で押し固められた壁のようでした。
土柱の正体 礫などを含み粘土で固められた壁のようです。見かけよりも固く崩れにくいです。
ところで、途中の遊歩道に面白い岩石の囲いがありました。透明な石英の粒(結晶)が目立つ岩石で、串本の橋杭岩で見た石英斑岩を思い起こしました。水晶に近いのでしょうか、こんなにも透明な石英がたくさん含まれている岩石を見るのははじめてです。かけらでも落ちていたら拾ってくるのですがありませんでした。
どこから運ばれてきたのでしょうか気がかりでなりません。



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