青山二郎(Aoyama, Jiro 1901-1979)という人が、わかる事はない。希代の目利きで骨董の完成者、というふうに評されたとしたら、もうその時点で、その言葉からはするりと抜け出ているような人である。
小林秀雄、永井龍雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、白洲正子といった昭和の文人との交友は「青山学院」といい、多くの人がこの人に引かれた、と言えばどんな人?って思う。
この人の眼前を通っていた、事物を通して感じてみよう、という「あさはか」な試みが「青山二郎の眼」展だ。先日僕も妻と一緒に見にいってきた。5月には新潟でやっていた巡回展で、新潟で見そびれていたので、仕合せだ。「眼は言葉である。」
「青山二郎の眼」展:世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
<我が家の一冊>
「眼の引越」 青山二郎著 (中公文庫限定復刊:初出は昭和27年:創元社)
昨年(06年)中公文庫から限定復刊した「眼の引越」は即購入。何度も何度も読み、「わからんなあ。」と思うところが楽しい。「わかった。」なんて思ったら大間違い。もう売り切れてなくなっているかもしれませんが、図書館などに行けば、読めるかもしれない。
「見える眼が見ているものは、物でも美でもない。ものそのものの姿である。」
本文には小林秀雄との対談も収録されている。
この限定復刻版、巻末に松岡正剛さんが書いた「非株な男」という文が寄せられている。青山二郎と松岡正剛が1冊で2人分読める。まさにお得な一冊である。

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