「三国志」に登場するリーダーの中で、
最も傑出した人物は魏の曹操だと思います。
最近は、週刊モーニング連載の「蒼天航路」の影響で、
曹操ファンは増えたとはいえ、
小説の「三国志」では、典型的な悪玉にされて、
「姦雄」の面だけが強調されているので、
彼を好きだという人は少ない。
実像の曹操はどういう人物であったのか。
今回は、曹操の悪玉的要素を排した
北方に勢力を持つ鳥桓の討伐に乗り出した時の話。
曹操が鳥桓討伐に出ようとした時、
配下の武将達は、無謀として反対するものが多かった。
しかし、曹操は反対を押し切って遠征を強行、
苦戦の末に目的を達して帰還することが出来た。
都に帰った曹操は、遠征に反対した武将達に、
改めて名乗り出るように申し渡した。
武将達は、「さては処罰か」と覚悟したらしいが、
曹操は彼らに恩給を取らせてからこう語った。
「
危うきに乗じ以って倖を求む。これを得るといえども、
天の佐くる所なり。
故に以って常となすべからず。」
今度の戦は、危険な賭けに出て僥倖を期待したようなもの。
目的を達したとはいえ、天の助けによるものだった。
こんなやり方がいつも成功するとは限らない。
さらに曹操は、
「諸君の計の方が、万全の計であった。
それで恩賞を取らせることにした。
これからも遠慮なく意見を申し述べて欲しい」
と語ったという。
この話によく示されているように、
曹操という人物は「僥倖」、つまりラッキーな勝ち方を嫌った。
綿密な作戦を立て、それに従って戦いを行う。
これが、曹操の持ち味だった。
鳥桓の討伐では、たまたま勝利したとはいえ、
そういう原則に反した戦いをしたことを厳しく反省した。
このあたりが曹操の凄いところであった。
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