今はなき『UNO!』という雑誌で、斉藤美奈子が『an.an』を評したのは98年のことだった。
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あんなのファッション誌の皮を被った芸能誌じゃないの、といったヤッカミ半分の悪口も聞こえてはくる「アンアン」だが、やっぱりこれが女性誌界、いや雑誌界に君臨するザ・クイーン・オブ・マガジンであることには、みんな同意せざるを得ないだろう。
******斉藤美奈子「あほらし屋の鐘が鳴る」朝日新聞社52ページより引用*******
こう見えて『an.an』は雑誌界の女王であったらしい。98年といえばネットもケータイも普及し始めたばかりで人々がまだまだ雑誌を情報源にし、暇つぶしに読み、雑誌を消費していた時代である。
それも今は昔。現在の『an.an』に見られるのはファッションの女王の矜持ではなく、差別だろうがオカルトだろうが十年一日のごとき特集であろうが売れさえすればよいという下心のみ。
そのわずか1ページを評するのにこれで5つめのエントリを費やしているのだが、昔話をしている場合ではなかった。先を急ごう。緑色の字は『an.an』からの引用である。
関戸 そういえば、飲み会でも、B型の女子って自分から血液型を言わないよね。
渡辺 確かに。A型とO型は自信持って言うコが多いけど、B型とAB型のコはわざわざ自分から持ち出さないかもね。
関戸 それに、何型か聞かれて「B型?」とか言ったら最後。「えっ、なんでB型に見えたの?」って機嫌が悪くなる。別にどっちでもいいんだけど、なんかゴメン、みたいな(笑)。
期せずして彼らの言い草は、お気楽な「ネタ」として消費されているように見える血液型性格診断が、マイナスイメージをかぶせられたグループが自らの属性を隠すところまで深刻化していることを如実に示している。
「えっ、なんでB型に見えたの?」って機嫌が悪くなる。
B型というのは見えるだけでもいけないらしい。よくこういうことを、恥ずかしげもなく書けるよね。無批判にというよりは、わざわざこういう話になるように編集してるんだよね。ちょっとは恥というものを知ったらどうなのか。
A型とO型が多数派の社会でネガティブイメージを引き受けることになるのは少数派のB型とAB型である。読者の多数派をいい気分にさせてまた似たような特集を買ってもらうためにはこの刷り込みを維持しなくてはならない。読者が決して忘れないように、事あるごとに手をかえ品を換えてB型は自己チューですよ、わがままですよ、振り回されますよと吹き込んできたら、それを内面化した人が隠すのもそう見られるのを嫌がるのも当然である。
だから『an.an』に差別をやめなさいよと言ってもたぶん聞く耳を持ってはいないだろう。わざわざこれでもかこれでもかと偏見を刷り込んで差別の構造を作り、多数派を持ち上げておいしい思いをしているのだから。方法は一つ、読者が見捨てることである。
このような差別的な雑誌は決して買わないことである。
買ったからこうして批判してるんだろという突っ込みは却下する
『an.an』のこの現状を斉藤美奈子が今見ても、まだ女王の称号を与えるのだろうか。
(とりあえず終わり)