先日、堀切海岸にて開催されたシマノ・ジャパンカップ(以下JC)中部大会。
地域貢献の一環として、昨年に引き続き、検量後の残ったキスを施設の子供達へ届けていただいた。

-写真はI氏撮影を流用-
初めて行った昨年は病気入院中の為に、自ら現場に足を運ぶこともままならず、病室から成り行きをタブレットからの情報を横目で眺めながらの数日間だった。
施設への寄付行為に至った経緯を話せば長くなるのだが、一応、この場を借りて成り行きだけでも記載しておこう。
2007年(平成19年)5月19日、シマノ社・提供番組「釣りロマンを求めて」を伊良湖にて投げ釣りの録画撮りする際のお手伝い役をする事となり、シマノ(名古屋営業所)関係者と話を詰めるため、当時JC中部大会会場だった西の浜に向かった。
実は当時、JC中部大会が西の浜会場に移ったのは数年前。それ以前は日出石門下の空き地(現在の日出丸食堂前駐車場)を会場として十数年来、開催されていた。
空き地を観光の駐車場として整備することとなり、やむなく西の浜へと移動となった。
現実問題として西の浜会場は堤防道路を使って、会場駐車場としていたが、本来の使用としては地元民の目からすれば問題アリと感じていたが、一応、関係筋の許可は得ていたと言う。
会場にて、当時の名古屋営業所長さんと話をしていた際(一般所員は番組録画の件は知っていなかったが、所長だけは耳に入っていた)に、所長さんから「残ったキスを寄付できるような所はありませんかね?」と尋ねられた。
西の浜のキスと言えば、「カルキス」が多い。
「もし、知っていたとしても斯様なキスを手渡すような勇気はありませんよ。」
の会話にとどまった。
この会話が10年後の発端であった。
当時、西の浜から表浜会場への変更をASCCの掲示板を使って論戦を張ったのだが、その過程の中から実は地元の一般の方から強い憤りの発言を受けていた。
曰く「西の浜でキスを釣って食べられないとして平気で残して帰って行くヤカラが居る釣りの大会なんか、そもそも釣りの風上にも置けん! そんな大会なら止めさせろ!!」
の声が多く上がっていたのだ。
本来の表浜会場に移動させたい強い思いがあり、T鉄が経営母体だった「伊良湖フラワーパーク」(2005閉園)の跡地利用を合併したばかりの田原市の関係筋に友人と共に陳情に行った。
合併した旧渥美町の住人の陳情に関係筋の方(田原町出身)はまさしく「けんもほろろ」扱いだった。「だいたいな、釣り人なんてのは、獲るだけ獲って残すのはゴミだけ!」とまで、言われ、嘆願書をつっ返され、悔しい思いで帰宅もした。
ところがである。
上記のシマノ「釣りロマンを求めて」の放映が決まった途端、手のひら返し。
再度、市役所に向かうとまさに「揉み手」で出迎えられた。
釣りの大会や釣り人の駐車場として利用してもOKと言う。
放映もさることながら、どうやらシマノ社と言えば、自転車。
この責任者トップは毎年開催の伊良湖トライアスロンのスポンサー目当ての下心もあったようだ。
その後の成り行きを後で知ることとなるのだが、余りに腹立たしいので閑話休題。
現在、春は「菜の花イベント」会場上として、また、我々投げ釣りキャスターにとっては「旧FP前」の名を冠して色んな釣り大会会場として利用されて十数年。
シマノ・ダイワの2メーカー大会。そして本年はガマカツの全国大会会場として使っていただけることは自分としても嬉しいことである。
ただ、一点、心の中にスッとしない事が十年続いていた。
「残りキス」の寄付行為の件。
昨年、フェイスブック(FB)を通じて高校の先輩であるI氏と知り合うこととなった。
I氏は定年後、故郷渥美にUターン。
ボランティアで母校(高校)の子供達を集め私塾(無料で)を開いている。
進級や進学への道を拓いている。
その傍ら、赤羽根町にある恵まれない子供達の施設にもボランティアの塾や食料調達(活動を支援する友人達からの奉仕品)も行っている。
この活動に釣り人としてのお手伝いがしたい の思いに10年前のシマノ所長の言葉が蘇った。
そしてようやく10年の歳月を費やして念願が叶った。
大会終了時、大会に参加したクラブ員の数名が居残って丁寧に残った釣果を集めてくれた。
こんな仲間を嬉しく思うと同時に誇らしく感じた2017年(平成29年)5月20日(土)の日だった。

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