実体験を全力でシリーズその2
愛犬の死(既出かも)
僕は、愛犬が大好きだった。幼稚園に通っていた頃、コーチャは家の前に、妹と二匹で捨てられていた。
初めは、捨て犬がいるな、位で、誰も気に留めなかった。そして、翌日には両方ともいなくなっていた。
何日か経ったある日、買い物から帰って来た僕たちの前に、再び彼等が現れた。
「お母さん、あのわんちゃんがいるよ!」
僕は確かそう言ったと思う。結局、隣りの家に二匹は引き取られ、大切に育てられた。
だが、その家ではゴールデンレトリバーを既に飼っていた事もあって、すぐに限界がやってきた。僕は母親に必死に頼み込んで、ついにお兄さんの方の犬を受け入れることになった。嬉しくて、その日ははしゃぎ通しだったそうだ。
その時から、週末は父親とコーチャを連れて散歩に行き、一緒に走り回るようになった。ボールを投げれば必ず取って、なかなか離さなかった。結局、僕の非力では、ボールを奪い返す事はできなかったのだが。
色々な事があった。家から逃げ出して向かいの家の犬と喧嘩して出血したり、友達の犬と噛み合いになったり。決して良い事ばかりではなかったが、全てはしっかりと心に残っている。 だが、その日は徐々に、しかし確実に近づいていた。僕が小学六年生の夏、コーチャは急に下痢をするようになった。それは中々治らず、遂に病院に連れていく所にまで発展した。そこで告げられたのは、意外な病名だった。
それはヘルニアだった。腰の筋肉が弱って、内臓を支えきれなくなっていたのだという。その日を境に、症状はどんどん酷くなった。
「お尻が膨らんでるのは、腸がはみ出してきてるからです。」
その時のショックは相当なものだった。
一年ほど経ち、状態はいよいよ酷くなったので、コーチャは手術を受けることになった。動物病院に一週間近く預けられ、筋肉を移植する手術を行った。普段は決して媚びた真似をしなかったコーチャが、帰ってきた時は母親にピッタリくっついて離れなかったという。
その後、一時期軽くなった病気だったが、またすぐに体を蝕んでいった。
ある日、コーチャの夜泣きが止まないのを気にした父親が、餌を山盛りに入れてやった。次の日見ると、やはりそこには山盛りの餌が入っていた。
「お父さん、コーチャ餌食べないよ?」
そう言って何気なく近づいて、僕は絶句した。その犬はよだれをだらだら垂らし、苦しそうに喘いでいたのだ。急いで駆け戻り父親にその事実を告げる。
コーチャを車に乗せ、病院に駆け込んだ。高い声で鳴いている愛犬を見るのは、本当に心が痛んだ。医師に全てを託し、僕達は待ち合い室で待機した。
しばらくして、医師がやってきた。
「尿道が捻れてますね。今、トイレに行くのを丸一日堪えたような状態です。今、管を入れて抜いてやれば、しばらくは元気になるでしょうけど、明日のこの時間帯にはまたこうなってると思います。」
黙ってそれを聞いていた父親が、ゆっくりと口を開いた。
「……楽にしてやってください。」
医師は一つ頷いた。
「分かりました。では、今から麻酔を深くうちますから、一時間程で呼吸が止まると思います。」
僕は、何も言えなかった。何が起きたのか分からなかった。
「お前、どういう意味か解るな?」
父親にそう言われ、初めて理解する。僕は頷いた。認めなくてはならない現実に、抗う事はできなかったから――
しばらくして、コーチャが出てきた。コーチャは、眠っていた。安らかな寝顔だった。ショパンの葬送行進曲が流れる中、車にそっと親友を乗せてやる。まだ、呼吸は続いていた。それは、二度と目が覚めることのない、柔らかい眠りだった。息は、少しずつ小さく、優しくなっていった。
そして、7月17日、車の中で僕の愛犬は死んだ――
恐らく、僕はこの死別を絶対に忘れないだろう。命の尊さを知った、この日の出来事を。


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