坂本繁二郎 うすれ日
夏目漱石の言葉であった。大正元年(一九一二)第六回文展に坂本が出品した『うすれ日』をみた漱石は次のように語っている。
此荒涼たる背景に対して、自分は何の詩興をも催さない事を断言する。それでも此画には奥行があるのである。さうして其奥行は凡て此一疋の牛の、寂寞として野原の中に立ってゐる態度から出るのである。牛は沈んでゐる。もっと鋭どく云へば、何か考へてゐる。「うすれ日」の前に佇んで、少時此変な牛を眺めてゐると、自分もいつか此動物に釣り込まれる。さうして考へたくなる。若し考へないで永く此画の前に立ってゐるものがあったら、夫は牛の気分に感じないものである。電気のかからない人間のやうなものである。


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