2020/3/11

3.11の記憶  
 
あれから9年。
今でも鮮明に思い出すあのときのこと。
  ↓
「3.11の記憶」


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2020/3/15  22:06

投稿者:かめやまこ
>キャロルさん
そうですね。
あの頃はアジが沢山釣れましたね。
最近はさっぱりですが・・・
釣師会のメンバーもあまりアジ釣りをやらなくなったようで、ちょっと寂しい気もします。

2020/3/13  0:28

投稿者:キャロル
 かめやまこさん
 みなさんそれぞれが、忘れられない記憶、思い出としてあることでしょう。私は職場が大阪で、家族の住む自宅が東京なので、1995年の阪神淡路大震災と2011年東日本大震災の2つの思い出が不可分のセットになっています。それぞれの記憶に結びつくさまざまなことが、いまでも鮮明に思い出されます。ちなみに、釣り場ではじめてかめやまこさんとお会いしたのは、東日本大震災の前年2010年の11月でした。あの頃は、堤防でよくアジが釣れていました(涙)。

2020/3/12  18:28

投稿者:かめやまこ
>ちょろ松さん
皆さんひとりひとりの記憶があって、ひとりひとりの想いがあるんですよね。
私も色々な意味で人生観が変わりましたし、孫ができたらしっかり語り伝えたいと思っています。
今のところその気配もありませんが(^^;;。

2020/3/12  2:22

投稿者:ちょろ松
かめやまこさんこんばんは。今日は愛媛からです。
不覚にもかめやまこさんのブログを知ったのは釣りを始めて
からで、その上釣行記だけ遡って読んでいたので、この日の
ことは読んでいませんでした。
震災の日、私はお客さんと大阪に出張していました。
帰京する予定が新幹線が止まり帰宅できず、在来線で京都へ
下り、旧友の営む素泊まり宿に厄介になり、2人で深夜までず
っとテレビで流れる惨状を呆然と眺めていました。
幸い翌日の新幹線に乗れたので帰京しましたが、初めて京都
〜新横浜まで立ちっぱなしを体験しましたそりゃそうです金
曜日に東へ帰れなかった方々が翌朝に重なったのですから。
そして東電の水素爆発。
その時点で会社は英断し、家族持ちは全員関西へ避難しろ。
親戚縁故が無ければしばらく関西圏のホテルへ泊まれ。金は
全部出すと。
火曜日の朝から週末まで京都に家族で避難しました。
そして、かめやまこさんと同じような思いをしました。
そこには充分な食料、燃料、そして乾電池。街は賑やかで、
東日本の災害などまるで無いように感じましたどこか遠い湾
岸戦争をテレビを通して生で見た時のような。
同時に思ったのは阪神・淡路の震災の時、東日本では同じよ
うに日常が流れていたことを思い出しました。どこか他人事
感があったと思います。
親戚縁故もなく遠い地域だったとしても、それが海外であっ
たとしても、人の受ける痛みはみな同じで、どれだけ寄り添
えるか、自分の身に置き換えられるかが、人の大きさかも。
と思い知った日でした。
そして親にも子供にも先輩後輩や仲間に対し、なんの詫びも
感謝も想いも告げられず亡くなってしまった方、伝えられず
残されてしまった方の無念さは計り知れません。

伝えること、残していくこと、後悔はしたくないですね。

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