忘却の川へ流れ去る諸々をしばしこの岸辺に繋ぎとめて..日記についての日記、もしくは不在の人への手紙。

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2011/5/7
昨日は立夏、暦の上では季節はもう夏です。今日は昼前から青空が広がりました。気温も上昇し夏のような雰囲気の雲が浮かんでいました。例の飛行機雲も数本筋を引いていましたが、今日は澄んだ青空がそれに勝っていたようです。自然に対してはもっと真摯であるべきでしょう。人間の都合でそれを改変しようというのは天に向かって唾を吐きかけるようなものです。
さて、静岡の浜岡原発をとめるよう首相から要請が出され、中部電力がそれを受託したとのこと。この原発の停止についてネットでの署名活動に一票投じた身としてはひとまず前進ですが、何かひっかかりも感じます。正直なところ、今の政府やマスコミ、その周辺の学者・専門家は全く信用していません。ですから、本来は喜ばしきこのような情報についても、背後に何かあるのではないかと感じられ、言外の意味を読み取ろうとする癖がいつの間にか染み着いてしまいました。単純に、支持率アップを考えてのことならまだいいのです。心配なのは、それをはるかに超える悪い発表がこの後に控えているのではないかということです。それが福島原発に関してなのか他の何かについてなのかはわかりません。兆しとして素直に良いこととはどうしても思えないのです。
これとは全く次元の違う事柄なのですが、少し前に不吉なニュースが海外から飛び込んできました。911の首謀者とされているオサマ・ビンラディン殺害のニュースです。これも、どうしてこの時期なのでしょう。オバマにとっては良い知らせなのでしょうが、わたしには、はるかに悪い事柄の到来を告げる鐘の音、これから勃発する凶事の前触れのような気がしてなりません。それが、新たに引き起こされるテロ行為なのか、積もり積もっていたものの瓦解としての金融恐慌なのか、何なのかはわかりません。
このところ、自分が以前に読んだり見たりしたものをもう一度振り返るということが多くなりました。大震災を経たせいもあるでしょうか、自分の感じ方や見方が変わりました。これまで物語や寓話だと思っていたものがことのほかリアルに感じられるようになったのです。
一例をあげると、この休みにDVDで見たコーマック・マッカーシー原作の映画『The Road』。これはベタな例になるのかもしれませんが、このような世界像は少し前であれば、あまりぴんとこなかったでしょう。意外だったのはこの原作が2006年発表と比較的最近であり、アメリカではベストセラーとなり170万部も売れ、ピュリッツァー賞を受賞したということです。それだけ多くの人々がこの作品世界に引き込まれたということ自体が何やら黙示録的ではないでしょうか。
そう、世界は何やら黙示録的な様相を呈しつつあるのではないかというのが私的な感覚としてあります。そのような感覚の中で、かつてはひとつの物語や寓話としてすましていたものが、ここにきて妙な現実味を帯びてこちらに迫ってくるのでした。

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2011/4/3
先週、広島に行く機会があった。夕方仕事を終えて、時間があったので平和祈念公園の辺りを歩いてきた。ぶらり歩きというよりも、仕事先の建物を出て、吸い寄せられるように足が、今は世界遺産となった原爆ドームへと向かった。夕陽の残照に映える廃墟のドームを見て、どうして自分がそこに引きつけられたのかわかった。その姿は見事に爆発で残骸となった原発の建屋と重なった。

説明書きに、この原爆で20万もの人々の命が失われたとあった。一瞬にして5万人、その後の被爆により5年間で15万人の計20万人となる。長崎も合わせると40万人近い命が原子力で失われた。わたしたち日本人は原子力と放射能による悲劇の当事者となった歴史を持ちながら、いままた、原子力による悲劇を繰り返そうとしている。地震・津波による甚大な犠牲の上に、放射線による犠牲はまだはじまったばかりであり、これからもずっと長く続くだろう。わたしたちの子供たちの子供たちの子供たちへ・・・それは大きな負の遺産となるだろう。私たちの世代を弾劾する未来からの声が遠い木霊となって聞こえてくるようだ。
一方で、最近、原発に関してはこれまでずっと長い間隠されていた悲劇があることを知った。それは、原子力発電所に働く現場作業員の被爆の実態のことだ。原発は機械やコンピューターだけで動いているわけではなく、発電所施設の清掃やメンテナンスの面で大勢の作業員の人海戦術により維持されている。そのことについては、ほとんど知られていない。電力会社の下請けの下請けの孫請けくらいの暴力団まがいの手配師によって、都市部でかき集められた末端の作業員は、ろくな説明も無しに原子炉内の現場に放り込まれ清掃作業を行うという。線量計とアラームメーターを携えてアラームが鳴れば退出し、休憩をおいて単調な作業の繰り返す。1週間ぐらいで体がだるくなり、3か月で熱が出て喉が痛くてしょうがなくなる。1年も働けば数年後には白血病が待っている。このように原子力発電所の現場で被爆した作業員は1966年からの約40年間でおよそ40万人にもなると写真家の樋口健二はいう。この数字は、先の原爆の被害者の数と同じである。
政府は29日になって、東京電力の報告を受けて現場でプルトニウムが検出されたと発表した。それは15日の3号機の爆発で既に放出されていたものだろうし、そのことは東電もわかっていたはずだ。日本の報道では流されることのない3号機の爆発のきのこ雲の映像を見る限り、事態は深刻だろう。より深刻なのは、事実を正確に発表しない東電や官僚、政府やメディアのやり方だ。このようなことを続けていく限り、これから先も犠牲者の数は途絶えることなく増え続けるだろう。一般に報道・放送されていない様々な情報を読むほどに、今回の事柄も、日本という国が宿命づけられた歴史の必然であるかのように思えてくるのだ。
わたしたちは、すでに戦時のただ中に投げ込まれているのかもしれない。いや、これまでも戦時だったのだが、ただ気づいていなかっただけなのだ。今回の原発事故は、新たなヒロシマ・ナガサキの始まりであり、わたしたちは、過酷な現実を受け入れてそれに立ち向かっていくのか、感覚を麻痺させて見ないふりを続け緩慢な死に向かっていくのか、岐路に立たされている。

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2011/3/21
大地震から1週間余りがたった。この間、直接の被災から免れた一民間人として、日常と非日常がない交ぜになったような奇妙な感覚にとらわれ続けている。ここでは、このところの気になることについて、断片的なものになるが取り上げてみたい。
まず、震災のあった当日の夕刊記事の話。その夕刊にはまだ震災記事は間に合わず、それまでとかわらない印象の紙面だが、そのなかで目にとまった記事は、トップ扱いの「菅首相に違法献金の疑い 在日韓国人から 首相側未回答」の記事。地震がなければ先の前原前外相の第二ラウンドが始まっていたのであり、辞任せざるを得ない事態に現首相は陥っていたということだろう。大地震によって結果的に、首相として適性を欠いた人間を今の日本はいただかざるを得ないとう状況にあるのだということ。別のページには「菅首相の違法献金問題、法的には問題ないと認識」という悪いジョークのような財務大臣の談話も載っている。
もうひとつの記事は、社会面で小さな扱いだったが「ヒブワクチン130万本回収へ 異物混入の指摘受けて」というもの。接種後の乳幼児5人が死亡した例のワクチンの事件であるが、「厚生労働省は異物混入と乳幼児死亡には因果関係はないとみているが、サノフィパスツール(という外資の製薬メーカー)は安全を優先して回収することを決めた」ということで、いったいどのような異物が混入されていたのかの説明もなく、不可解な記事。
近年、インフルエンザをはじめとしてやたらと乳幼児・学童の予防接種が多いなと感じている中で、後味の悪さが残る記事だった。今も、TVでは、ACの子宮頚がん検診促進のスポットが流され続けているが、これもおそらく検診とワクチンをセットでということなのだろう。
次は、震災の翌日、首都圏から脱出の途上で小田急の車窓から不吉なものを見る。12日土曜日の朝は快晴で、ぎゅうぎゅう詰の小田急線の車窓から見る夜明けの太陽はたいそう美しかったのだけれど、その後町田あたりから人も降りて社内も空いてきたので窓からのんびり空を眺めていると、以前から気になっていた飛行機雲が一筋、今まで見たこともないような近さと角度で伸びている。そういえばこの近くに厚木基地があるのだった。この飛行機雲についての噂が本当だとしたら、米軍も震災の翌朝早々から容赦のないことだ。その後新幹線から見る富士の山は美しかったが、その上空には数本の飛行機雲がすでに拡散し始めていたのだった。
この飛行機雲、関西では18日が夥しく、その日の天気予報では快晴だったのに、すぐに薄曇りの陰気な天候となってしまった。そんなこともあり、この週末は要注意かなと思っていたのだった。今回米軍が名付けた大震災支援作戦の名称が「TOMODACHI(友達)」であるというが、上記のことがらもその作戦の一環なのだろうか。

今回の地震は非常に広域なプレート型の連動型地震かもしれないとのことであるが、気象庁の地震速報を見ていると内陸でも直下型の地震が局地的に集中していることに誰でも気づく。ネットでも一部話題に上がっているが、中でも新潟県中越地方と静岡県富士宮市が震源地として目立つ。16日の夜に比較的大きな地震が静岡県の東部であり、いよいよ今度はフィリピン海プレートが動き出すのかと不安なところであるが、これらの地震に対するマスコミや専門家筋からの情報は見当たらない。
本当に、大地震の可能性があるとしたら、また真っ先に気になるのは原発の存在であり、現に静岡県のプレート境界上には浜岡原発があり、地元の市民団体が一時休止を申し入れWEBで署名活動も行われている。ところが、そんな話題をマスメディアはほとんど取り上げない。この原発の行く末は首都圏の命運を決するとも考えられるのだが、東京方面の人々は何も感じないのだろうか、もっと騒いでもいいと思うのだが。
そして、一番驚いたのは、この間の国の対応とそれを報道する既成マスメディアの有様だ。いよいよもって、これは国家犯罪の域に達しているのではないだろうか。とくに原発を巡っての報道規制と事実の歪曲は甚だしい。「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」という官房長官の決まり文句とともに画面で示されるのが、おなじみの「被爆線量と体への影響」を示す表なのだが、総量と単位時間当たり量を混同させたプレゼンでわかりにくく事実をぼかし、放射線被爆と放射性物質による体内被曝の差異についても明確に言及していない。被災地でこれを見せられたら誰でも激昂するのではないだろうか。

放射線量の正しい考え方については、以下の先生のレポートがわかりやすい。
http://takedanet.com/2011/03/11_0ba1.html
今、現在、被災地の人々は大変な状況におかれているのに、実際のところ現場の生の情報というのはほとんど伝えられていないのではないだろうか。また、おそらく被災地のほうでも一体だれがどのように動いてくれているのか、周辺の状況はどうなっているのか、原発の放射能はどうなのかといった様々な点で情報が不足していることだろう。
遠く離れた場所にあっては誰もが、義援金を送るとかそれ以外にはほとんど祈ることしかできないといった状況のなかで、ふとTVのスイッチを入れてみれば、取り残しのバラエティ番組がなんともう放送されていて、今日あたりからはほとんどいつも通りのプログラムに戻っているような有様である。このままではこちら側の人間はますます震災という「事象」から遠ざけられ、被災地の人々はいよいよ隔離幽閉されていくばかりではないだろうか。

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2011/3/19
窓を開けて夜空を眺めてみれば、異様に明るい月が天空に輝いていました。
今日3月19日の夜は春分の日の満月、なおかつ19年ぶりに月が最も地球に近づく最近値満月(supermoon)となります。
大潮となるので、余震が続く被災地周辺の海沿いは注意が必要です。
また、月が地球の地殻に及ぼす影響はわたしたちの想像以上のものがあるといいますから、再び、大きな地震が起こらないかと心配にもなります。

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2011/3/19
以下は、14日月曜日にとあるメーリング・リストに書き込んだもの。覚書としてここにも書き込んでおく。
当日は東京出張で地震のあった時間帯は江東区の本社で会議中でした。3階のフロアだったわりには、いままでにないような異常に長い横揺れのあと、さらに強い揺れがきたので建物から出ようということになって、外に出てみると、既にあちらこちらのビルやマンションから人々が不安そうに出てきていました。
揺れがおさまったと思って、いったん職場に戻ったのですが、今度は比較的強い縦揺れが来て、すわこれが本番かと思って再びビルの外へ。皆さん不安そうに呆然と立ち竦んでいます。この揺れが茨城沖の震源だったことは後で知ります。
会議が終わった後、まともに昼食をとっていなかったのでコンビニに立ち寄ると、すでに弁当を5個から10個買って帰っていく人がいます。私も、今日は帰れないかもしれないと思い、おにぎり6個とお茶を2本確保して事務所に戻りました。1時間後には、めぼしい食料はコンビニからなくなっていました。
案の定、鉄道がとまったので、その夜は会社で泊まりとなりました。高速が閉鎖されたせいか、前面道路は車で大渋滞、歩道では大勢の人が行列をつくって皆が都心から離れる方向へ黙々と歩いているのは異様な光景でした。
ひっきりなしの余震を不気味に感じながらも職場で情報収集に努めましたが、電話も通じず、職場にはテレビもラジオも無く、インターネットも重く、そんななかで、ネットのUSTREAMで中学生の男の子がIphoneをテレビの前に据えてNHKをLiveで配信してくれていたので、ようやく世の中の状況が飲み込めました。
首都にいながら、その時は多くの人が情報に飢えていたのではないでしょうか。ましてや被災地にいる方の不安は推して知るべしです。
明け方の4時頃、緊急地震速報がありひどく揺れて、今度は震源地が長野だというので、さすがに今回の地震はただ事ではないと、とにかくフォッサマグナの西側に早くたどり着きたいと思いました。
夜通しでメトロと小田急が走っているということを知り、すぐに会社を出て、新宿、小田原経由で新幹線に乗り土曜の昼前に奈良の自宅にたどり着きました。
その後は、自宅でもテレビを見ていたのですが、一番気になったのは福島原発の報道です。情報管制がしかれていたようで、いっこうにはっきりしない原子力保安院や官房長官の会見にはイライラしました。
関西では、1回目の建屋の爆発の映像がなかなか流れず、YoutubeにupされたBBCのニュース映像で初めて見ました。被災地でも原発でも現場の人々は命がけで仕事をしていただいていることと思います。それに較べてテレビをはじめとするマスコミの報道はどうにも焦点がぼけてわかり辛い印象です。このところ、何かにつけてマスコミ報道とネット情報とが乖離していることが気になります。
今日も東京方面へは電話がつながりません。海外におられる方や、国内外に外国人の友人のおられる方は、貴重な情報ソースと考えられます。また情報をいただければと思います。フランス人はすでに首都圏から非難しはじめているとのことですし。被災された方の少しでも多くの無事をお祈りするばかりです。

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2011/2/27
久しぶりの金井美恵子、2009年の『目白雑録3』以来の新刊書となります。
読み始めて、あれれ?とデジャ・ヴ感覚に襲われました。サッカー・ワールドカップの話題で始まるのですが、それが2006年のドイツの話です。初出を見れば、「別冊文藝春秋」の2006年9月から2010年11月にかけての連載がもとになっているということで、『目白雑録3』とまる2年くらい時期がかぶっていたのです。もう季節は一巡りしているんですけれど。でもその二つのワールドカップの間の4年が猫にとっては一年くらいのものだから、「猫の一年」という書名になったそうで、そこは妙に納得します。
サッカーのヒデさんの話題については、私的にはもう過去のこととなってしまっているので、読んでいてもあまり感興がわきません。先のワールドカップでは開幕戦のNHKの中継に出ていましたが、常識的ですが的確なコメントをしていたように思います。そうそう、確かに開幕前に本田と対談もしていましたね。
ワールドカップの話を少しすれば、2006年と2010年ではチームの一体感が違ったという言い方がありますが、やはりそれも初戦が全てだったのではないでしょうか。ドイツでは勝てていた試合をひっくり返されたうえの惨敗、一方の南アフリカでは負けるであろうと思われていた試合が異常に惨かった相手チームに助けられて辛勝、この結果の違いがその後のチーム感情にも大きく左右したわけで、まあ、ドイツでは結局ベンチ(監督)が最後まで機能しなかったのが一番大きな敗因だったと個人的には思っています。こう書きながらも遠い目になってしまうのですが。
サッカーの話題はさておき、原稿は伊東屋の原稿用紙に手書きでPCを使わないからネットとも無縁の作家としては、目にし耳にする情報はしぜんテレビや新聞、雑誌となるのは仕方がないとしても、それらを見てのあれやこれやについては、もういい加減、なのではないでしょうか。
こんにちの既成マスメディアの凋落ぶりを目の当たりにすると、それについてとやかく言うことはおろか見たり聞いたりすることもうんざりです。この頃はテレビも見なくなりましたし、雑誌も買わなくなり、新聞の購読もやめようかと思っているくらいです。
つまらないものを相手にするのはやめて、ね、先生、私たちはあなたが本来好きな小説や詩や映画について書いたものを読みたいのです。再び書くことのはじまりにむかって逡巡しめまいするようなエッセイを読みたいと30年来のファンは切に願っています。『トワイス・トールド・テイルス』も待ち遠しいですしね。
最後に一つこの書物について付け加えることは、姉の金井久美子さんの挿画です。たっぷりとあって、どれも美しくて神秘的です。トラーもいたるところにいます。1月に銀座の画廊でこの挿画を中心に金井久美子さんの個展が開かれたということです。出張のついでに観にいけばよかったと悔やまれます。

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2011/2/26
1月に家に遊びに来た高校生となぜか『攻殻機動隊』の話で盛り上がり、テレビシリーズ2編をDVDで貸してもらうことになって、日々の合間に数年ぶりかで全52話を通しで見たのだった。久しぶりだったけれどいま見ても滅法面白く、古びた印象はない。それどころか、現実世界のほうが攻殻の世界に何やら近づいてきたように思える。およそ5年前に見たときは『S.A.C. 2nd GIG』にはそれほどリアリティが感じられなかったのに、いまやその作品世界が予想以上の迫真さでこちらに問いかけてくることに驚いた。
本シリーズの構成を練り上げるに当って、監督の神山健治が押井守から与えられたテーマは、911以後の戦争を描くことだったという。結果、ネット上に現れては消える亡霊のようなハッカーを追いかけていくという前シリーズの探偵小説的な面白みは後退し、公安9課が国家や社会階層間の軋轢に巻き込まれていくという大状況の舞台回しの中で、主役達も幾分居心地が悪そうで、作品世界の成り立ちも当時のわたしには少々わかり辛かった。
ところが、今となっては本シリーズの世界設定には非常にリアリティを感じる。それだけ世の中がキナ臭さを増しているということだろう。なかでも作品世界において、いくつかの点で当時より現実との地続き感がより強まっているように感じる。そのいくつかの点とは・・・

政府や上部権力においてエージェントが演出家・シナリオライターとして暗躍し、国内のマイノリティとの内戦を契機とする軍拡から戦争への筋書きを現実化しようとする。彼らの演出・情報操作により、抗争が仕組まれ、それらの抗争と憎しみの連鎖の果てに国内は泥沼の戦争状態にはまり込む。もはや自国の首相は見えない権力の広告塔として機能するのみであり、傀儡政権は他国の諜報機関に陰であやつられている。さらにその背後には、神話や伝説をプログラムする誇大妄想狂の巨大権力が存在し、状況を悪化させる思想誘導装置としてのプログラムを発動している。その装置に扇動された民衆は、泥沼化自体を目的とした戦争に巻き込まれていく。そうした抗争においては、きっかけとなる犠牲者や局面を打開しようとする反対抗勢力(革命家)さえも、構成要素の一部(触媒)としてプログラムに組み込まれ、状況が混迷を深めるとともに、真実は現象の前に沈黙を余儀なくされる。もはや歯止めのきかなくなった集団心理に踊らされた人々は、この先どのような結果が待ち受けているのかわからないまま、自分にとって都合のいい情報のみに身を委ね簡単にマインドコントロールされる。水が低きに流れるように、人の意識もまた低きに流れる・・・
なんと既視感のある風景だろう。そのような世界で、「ハブ電脳」という言葉に示されるごとく、ネットの存在が大きくクローズアップされる点も、今まさに私たちの世界で繰り広げられていることがらだ。
チュニジアから始まって、エジプト、バーレーン、リビアへと飛び火している中東の革命は、少数の若者の犠牲(あるものは政府に虐殺され、あるものは焼身自殺を図り)を契機としながらも、その革命運動が燎原の火のように国中に広がりを見せた背景にtwitterやfacebookといったSNSが大きく貢献したと言われている。ジャスミン革命ならぬSNS革命といってもよいほどだろう。
しかしこれらの革命は、決して、虐げられた民衆の民主化への発露として自然発生的に生じたのではないといわれている。すでに、2,3年も前からエジプトのある少数の若者たちは、国際的な機関に教育・訓練を受け、自国の政権の転覆について緻密なプログラムを練っていたようだ。そうした若者たちを民間サイドで積極的に支援したのがgoogleやfacebookといった企業であり、現に指導的な若者の一人はグーグル・エジプトの社員だったという。googleなどは近年CIAからの資本参加も受けているそうだ。そして、2009年の時点ですでにエジプトの80万人の若者の間にfacebook やtwitterを普及させていたという。
これらのことから見えてくるのが、中東革命の背後で暗躍している大国の存在である。かの大国がどのようなシナリオにもとづきこれらの動乱を引き起こしたのか、この革命劇に第二幕があるのか、その最終の目的は何か、泥沼化自体が目的なのか。これらの革命が人々にどのような社会をもたらすのか、中東の国々をとりまく今後の世界の状況についてはしばらく注視していかなければならないだろう。
久しぶりに、『攻殻機動隊』を見て、さて、首を回して世の中を眺めてみれば、そこにも同じような世界が広がっていたということである。そして私たちの国はといえば・・・

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2011/1/1
あけましておめでとうございます。

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2010/12/7
12月に入り冬至も近くなってくるこの頃は朝起きてもまだ薄暗いのですが、何かの気配で目覚め、窓の外東の空を見れば燦然と明けの明星が光っています。
この数日、金星が最も輝く時だそうです。先週の土曜の朝は下限の月の下で輝いていましたが、月はすでにより高度を下げ、昨日はすでに新月でした。
そして明日の朝、今年の5月に打ち上げられた金星探査機「あかつき」が金星の周回軌道にのる予定だそうです。今回のあかつきのミッションは金星の大気の謎に迫ることだそうですね。
ヴィーナスと呼ばれ美の象徴である金星。大きさや太陽からの距離が地球に近く「地球の兄弟星」ともいわれる金星。しかしその実際の姿は高温の二酸化炭素に包まれ、硫酸の雲が浮かぶ、地球とはまったく異なる過酷な環境だそうです。
どうしてそうなったのか、その原因を究明すれば、地球の誕生や気候変動を解明する手がかりも得られるとのこと。地球環境を理解する上でも金星は参考になるのだそうです。
興味深い話です。ちょっとしたきっかけが因果法則によって、まったく違った道を歩んでしまったのか。それとも金星は実は未来の地球の姿なのか。大昔住んでいた金星人が引き起こした人為的な原因で今の荒れ果てた環境になってしまったとか。
前世が金星人だったと言っている人もたまにいるようですし、京都の鞍馬寺の言い伝えもあります。その神様は650万年前に金星から地球に降り立ち、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま年をとることのない永遠の存在だといわれています。
そういえば、少し前にNASAが、有毒なヒ素で成長する細菌を発見したとの記事もありました。
地球上の生物は主に炭素、酸素、水素、窒素、リン、硫黄の6元素でつくられており、これらは生命活動に不可欠と考えられています。発見された細菌はリンをヒ素に換えても生きることができるのだそうで、現在知られているものとは異なる基本要素で生命が存在する可能性を示すもので、生命の誕生、進化の謎に迫る発見だそうです。だとすれば、現在の金星の過酷な環境にも生命の可能性が無いとはいえないのではないか。
明日の朝も金星が見れるといいのですが。さて明日の天気はどうでしょう。


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