2004/9/7
巷ではすでに、ウェブログ学会なるものが立ち上げられ、WEB日記についても着々と研究が進められているようである。その一環として行われたアンケート調査の中に、あなたの日記は、次のどれに該当するかという設問があり、選択肢として以下の4種類が類型化されている。
1. 自分に向けて書き、事実をそのまま書く(備忘録型)
2. 他者に向けて書き、事実をそのまま書く(日誌型)
3. 自分に向けて書き、自分の心情を書く(日記型)
4. 他者に向けて書き、自分の心情を書く(公開日記型)
さて、自分の日記は上記のどれに該当するだろうかと考えはじめたが、なかなかどれとは選べない。
これまで書き込んだ事柄は、自分の中での確認の意味合いもあるし、WEB日記であるから当然他者が読むことを前提としている。ただし、その他者は不特定の極めて曖昧な他者である。他者に向けて書いているというよりは自分の外側に送り出しているという感じだ。
書き込んだ内容も、思うこと・考えることというのはありのままの事実ではないし、そこには自分の心情がどうしても入り込むことになるが、かといって心情を書くことが第一の目的ではない。少々長ったらしくなるが、
「自分の中の他者、あるいは、
あるかも知れない他者の中の自分に向けて書き、
記憶とテクストを再生産するための日記」
というのが、一番しっくりくるように思える。
記憶とは自分の時間の外側にあって「今」に痕跡をとどめるものであり、テクストとは自分の空間の外側にあって、絶えず「私」に到来するものである。
記憶とテクスト。この二つを「今」の「私」というフィルターを通して再び「外部/未来」に向けて送り返してやること、それがこの日記が持つファンクションであると考える。
だから、この日記は過去の残像と他者のテクストからの引用に満ちたものとなるだろう。書いてあることは他のどこかで読んだことばかり、描かれた風景は以前見たような気がするものばかり、そんな既視感が常につきまとう場所となればそれはそれで幸いである。
そして、出来うれば、この場所が未だ見ぬ未来と他者の両方に開かれてあらんことを。

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