2006/1/7
新しい年を迎えました。
といっても、何ということはなく、すでに4日から仕事もはじまっています。
今年は、はなからお正月気分を味わうといったこともありませんでした。
師走にはいっても体調がおもわしくなく、大晦日の午後にとうとう寝込んでしまいました。
ずいぶんと熱も出たようです。寝汗をかきながら、夢にうなされ、
夢の中で除夜の鐘を聞いたような気がします。
目が覚めるとすでに年は明けていて、午前の明るい光が部屋に満ちていました。
夢をみていました。本を買おうとする夢です。
先頃出たばかりの本をまだ買っていないことが気になって
買いにいこうと街に出かけるのですが、自分のいる場所がわからず
自分が行こうとしている場所もわからず、電車に乗ったところ
乗り継ぎが悪く、おまけに間違った路線を走っているようで
いつのまにかずいぶんと遠いところまで来てしまって、見知らぬ土地で
途方にくれているというような夢でした。
本を買いたかったというのは実際の話で、それは年末に出たある作家の文庫本でした。
その作家は、もうずいぶんと昔に亡くなった女性作家です。
わたしが生まれるよりもずいぶんと前にすでに亡くなっているのです。
それでもときおり、その作家のことをふと思い出しては、作品を読み返します。
彼女のことと遠い昔の出来事を思い出そうと、考え込んでいる自分がいます。
学生の頃、その作家に関係することで不思議なことがありました。
とにもかくにも、わたしにとってそれがこれまで生きてきたなかでの
唯一の不思議体験でしたから、今でもときおり思い返しては、
そのことがらの意味を、ついつい考えてしまうのです。
実際は、意味なんてないのですが。
とにもかくにもその出来事があったから、その作家のことを意識するようになり、
それ以後彼女の書いた作品も読み続けるようになりました。
とりたてて彼女の書いた作品が好きだとか、文章が素晴らしいということではないのです。
それでも何か惹かれるものがあるのです。綴られた言葉の中に、
生身の人間としての彼女の肉声が聞こえてくるような気がするのです。
もう50年以上も前に亡くなった作家なのに、彼女に関しては
いままで小さなリバイバルが繰り返されてきたようです。
80年代には作品の映画化の話もあったようです。
いまでもその作家の研究会があって、不定期で会誌も出されています。
そして驚いたことに、没後50年となる2003年には全集が編纂され出版されたのでした。
大晦日の夜、熱にうなされて体がたいそう熱くなって、一度眼を覚ましました。
11時前くらいだったと思います。布団のなかで自分の見ていた夢を反芻していました。
そのとき、ふと気づきました。彼女は今ぐらいの時刻に亡くなったのだと。
そしてとりとめもなくいろいろなことをぼんやりとした頭で考えました。
その年の大晦日の夜はどんな夜だったのだろうか、
今年のように寒く、雪が舞い散ったりしていたのだろうか、
彼女の眼に映った年越しを迎えた港の街の夜景はどのようなものだったのだろうか、
そして最期に彼女の脳裏を駆け巡った光景はどのようなものだったのだろうか、と。
朝、目が覚めると、前夜のことが嘘のように熱は下がり体は軽くなっていました。
起き上がったときには、なぜか気分も一新したようなすっきりとした気分でした。
お正月は、毎年のように食べ過ぎることもなく、外にも出かけず静かにしていましたから、
おかげで三が日は、ゆっくり本を読みながら過ごしました。
かえって例年よりも快調に仕事始めを迎えられたくらいでした。
新年早々なにやら意味不明な日記となってしまいましたが、わたしは元気です。
欲しかった文庫本も先日手にいれることができました。
あなたは、遠く離れて、いまはどうしていらっしゃるのでしょうか。
わたしは、この場所から、この一年のあなたのご無事と幸せをお祈りします。
ことしもよろしくおねがいします。

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