2006/1/15
年末年始に読んだ本のなかに、リディア・デイヴィスというアメリカの女性作家の『ほとんど記憶のない女/Aimost No Memory』という小説があった。日本ではこれが彼女の小説の初訳であり、もちろん私も初めて読む作家だ。
風変わりな作風で、極端な短編が多く、少し神経症っぽい書き手の思考のおもむくままに内面の心理と客観的事象がともに淡々とした叙述で語られるといった小品が目立つ。それは、いわゆるジョイス風の「意識の流れ」の手法とは全く異なっている。私にとっては、はっきりいってそれほど面白い小説ではなかったが、方法的な作家であることには違いないようだ。アメリカでは彼女は小説家としてよりも、フーコーやブランショ、サルトル、プルーストなどのフランス文学の翻訳家として有名だということだ。
わたしが彼女の作品を読もうと思ったきかっけは、この作品をとりあげた新聞の書評欄のなかで、彼女がかってポール・オースターのパートナーだったと書かれているのを目にしたからだ。
この本の中に「サン・マルタン」という作品があるが、ここでは彼女が南フランスの片田舎でオースターと二人、窮乏した生活を送っていたときのことが題材にとられている。この話はほとんどそっくり事実のようであり、数年前に翻訳が出たポール・オースターのエッセイ、『トゥルー・ストーリーズ/True Stories』のなかの「赤いノートブック」にもほぼ同じような内容が書かれており、リディア・デイヴィスはLとしてそこに登場している。これらを読み比べてみるのも面白い。この二つの作品にともに顔を出している人物もいる。その人物は、景気のいい雑誌の専属カメラマンなのだが、オースターのエッセイの方には彼にまつわる不思議な後日談も書かれている。
オースターとデイヴィスが南フランスでの風変わりな1年間の生活を送ったのが1973年、翌1974年には二人はニューヨークに戻って結婚し、ダニエルという男の子をもうける。しかし二人の結婚生活はうまくいかず、1979年には破綻してしまう。このあたりのことは、前にもこの日記でとりあげたことがある『孤独の発明』の「記憶の書」にも語られている。

そして、オースターをめぐるもう1冊の本というのがシリ・ハストヴェットの『目かくし/The Blindfold』である。これは彼女の最初の長編で1992年の作品だが、2000年に彼女の作品としては初めて翻訳された。シリ・ハストヴェットも北欧系アメリカ人の作家で、こちらは現役のオースターのパートナーである。『目かくし』は彼女の半ば自伝的な小説であるが、そこにはオースターの影はない。彼女が田舎町からニューヨークのコロンビアの大学院に進学し学生生活を送り始めた1978年頃のことが題材にとられているため、時間的に隔たりがあるからだ。それでも、主題的には孤独と窮乏のなかでの風変わりな生活を描いているということで、関わりがなくもない。わたしにとってはデイヴィスの作品よりもシリのこの作品の方が面白い。私小説風の作品ではあるが、現実の裂け目から虚構が顔を覗かせるような幻想的な作風で、非常に楽しんで読んだ記憶がある。
オースターとシリはニューヨークで出会い、二人は1981年に結婚する。先の『孤独の発明』が発表されたのが1982年だから、80年前後にポール・オースターの内外でドラスティックな変化があったということになるのだろうか。とにもかくにも、オースターという作家、いろいろな面で興味の尽きない作家である。ちなみに、少し前に出た柴田元幸の作家インタビュー集『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』にはオースターとシリへの別々のインタビューが載せられており、付属のCDで二人の声を聞くことができる。

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