2006/4/9
昨晩、がんを扱ったテレビ番組で洞口依子さんが出演していました。番組がもう終り近くで、彼女の姿は少ししか見ることができませんでしたが、元気そうでした。がんを克服できた様子で、もしそうなら非常に喜ばしいことです。ずいぶん前に彼女のことはこの日記でふれていて、その後も一度、去年の夏に彼女の手記が新聞に掲載されました。「未来を生きる自分に会うために」という題で、彼女はいまも5年生存率という病後を闘いながら、「まだ生きていますか?」とときおり未来の自分に問いかけるという話です。そして、子宮がんで子どもを生めない体になって、女であることよりも人として、生きる喜びも苦しみもかみ締めていきたいということでした。「まだ生きていますか?」、未来のわたしに、さかんに問いかける、わたしは、そのわたしに会うために、ゆっくりだけど歩き出した、とそのエッセーは締めくくられています。
自分に残された時間が限定されたものであるという事実をリアルに認識することによって、人間の生き方は確実に変わってくるのでしょう。でもわたしたちは普段はそのようにはなかなか思い至りません。いつまでも、いまのような時間が続くように思っているのです。いまが多少幸せであろうが不幸であろうが、明日も今日のような一日がはじまるだろうと思っているのです。一方で、自分の時間が思いがけないことで閉じられたとしても、それはそれで仕方が無いと思っているふしもあります。
しかし、あと5年ということだったらどうなのでしょう。そこで何らかの目標をたてて、その目標の達成に向けてがんばるのでしょうか。どのような目標をたてるのでしょうか、それとも、目標などたてたりせずに、余計なものは排除して一日一日を楽しみながら充実したものにしようとするのでしょうか。残された時間で、どれだけの本を読んで映画を見て、いくつの見知らぬ土地を旅することができるのか、そして何人の新しい人と出会えるだろうか。そう考えれば、読んでおきたい本もあるし、見ておきたい映画もあれば、旅したい場所もある。そして、ひと目会ってみたいと思う人もいます。ただ実際は、思ったことの何割もできはしないのでしょう。
でも、確実なことがひとつ、それは、書くことをやめないだろうということ。書き続けられる限りわたしはここにこうして書き続けるでしょう。そして、いまここに書いているということが、そのような不確実な未来、未来の自分に向けて書いているのだという気もします。ここに書くことは、未来の自分に手紙を書くことのように思えてきたりもするのです。未来のわたしは、いまこれを読んで、なにを思いますか?

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