2007/3/3
(友人が行ってしまったとき、ペレイラは)じぶんがしんそこ孤独に思えた。それから、ほんとうに孤独なときにこそ、(大切な問題と)あい対するときが来ているのだと気づいた。そう考えてはみたのだが、すっかり安心したわけではなかった。それはこれまで生きてきた人生への郷愁であり、たぶん、これからの人生への深い思いなのだった
今夜は満月。仕事に追われる毎日です。忙しくバタバタとして、とうとう、同じグループのメンバーが登校拒否ならぬ職場放棄を起こしてしまい、その対応にも追われるという、ばかばかしくも疲れるばかりの日々を送っています。今日も仕事に出る予定でしたが、体調不良もあって休んでしまいました。本もろくに読めない日々。
そんな中で、週日の唯一の楽しみが、移動の電車の中での読書なのですが、年末あたりからこのところずっと読み続け、ちょっとした時間でありながら、ほんとうに心のオアシスとなっているのが、最近河出文庫で文庫化されている『須賀敦子全集』なのでした。

須賀敦子さんの本は、ずっと前に『ユルスナールの靴』を読んでいて、すごく良かったのですが、内容はもう忘れてしまっていて、この文庫全集での再読を楽しみにしているのです。第1巻、第2巻と読んで、第3巻目が「ユルスナールの靴」だと思ったら、第4巻が先に出て、その後に第6巻が出たのでした。そして今、第6巻を読み終えたところで、ああ途切れてしまうどうしようと思ったら、3月5日には第7巻が出るようです。
冒頭の文章は、第6巻所収の須賀さんの「翻訳書あとがき」にあった、アントニオ・タブッキの小説『供述によるとペレイラは・・・』から須賀さんが引いている文章で、「この小説の主人公は、こんな結論で私たちを勇気づけ、なぐさめてくれる」と彼女は書いた後、この文章を引きながらあとがきをしめくくります。
私はアントニオ・タブッキの小説が好きで、タブッキのおかげでペソアという稀有な詩人のことも知ることができ、この作家にはほんとうに感謝しているのですが、私がそもそもタブッキを好きなのも、須賀さんの翻訳の力が大きいのではないかと、タブッキが好きだということは実は半分は須賀さんの文章が好きだということだったのではないかと、彼女の文庫全集を読みながら思いいたったのでした。実際、タブッキの須賀さんに対する信頼や友情については、彼の須賀さんとの対談(『ユリイカ』1998.1所収)や、須賀さんが亡くなった時に書かれた追悼文(『文藝別冊 追悼特集須賀敦子』所収)を読めばよくわかります。記憶をたぐり寄せるように優しく静謐で、知的な文章、彼女のエッセイと小説とのあわいにあるかのような文章は、なぜか私たちの心の奥深くに染みとおってきます。何気ない言葉の連なりに心が揺さぶられ目頭が熱くなります。タブッキの小説の世界と須賀さんの翻訳の文体との幸福な蜜月、それが私たちが日本語で読むことのできるタブッキなのだということ。

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