2007/3/3
須賀さんが引いた文章は、私もこの小説の一番好きなところで、本には今もそこに付箋が貼り付けられています。実際の翻訳文は以下のようなものです。これ以外の付箋のある文章といっしょにもう一度、書き綴っておきましょう。今孤独な気分に落ち込んでいる人には、アントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは・・・』、お薦めです。須賀さんの静かで優しく気品のある日本語でどうぞ。
われわれの存在の意味をなによりも深く、また総体的に特徴づけているのは、生と死の関係である。というのも、死が介在することによってわれわれの存在に限界がもうけられている事実が、生の価値を理解するには決定的と考えられるからだ。
たましいという言葉を聞いて、ペレイラはほっとした、という。まるで、上等な香油のおかげで痛みが楽になったみたいだったものだから、彼はうっかりして、少々ばかげた質問をしてしまった。君は肉体の復活を信じますか。考えたことないです。ペレイラの質問に、モンテイロ・ロッシがこたえた。
人格は多数のたましいの連合だというのです。私たちはじぶんのなかに多くのたましいをもっていますからね。それで、たましいの連合は、主導権をもったエゴの統制のもとに、みずからをおくのです
過去とつきあうのは、もうおやめなさい。未来とつきあってごらんなさい。すばらしい言葉ですね。未来とつきあう、か。ペレイラが言った。なんてすてきな表現だろう。
ペレイラはパレーデの海洋療法クリニックですごした一週間のことを考えた、カルドーソ医師と話したことについて、それから、自分の孤独について。カルドーソ医師がそとに出て街に消えてしまうと、彼はとり残された気持になり、じぶんがしんそこ孤独に思えた。それから、ほんとうに孤独なときにこそ、じぶんのなかのたましいの集団に命令する主導的エゴとあい対するときが来ているのだと気づいた。そう考えてはみたのだが、すっかり安心したわけではなかった。それどころか、なにが、といわれるとよくわからないのだが、なにかが恋しくなった、それはこれまで生きてきた人生への郷愁であり、たぶん、これからの人生への深い思いなのだったと、そうペレイラは供述している。

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