2008/9/28
「ようこそ。ペンギン・カフェへ」
soundscape
72年、フランス中部にいたときのことだ。ちょっと傷んだ魚を食べたせいで、具合が悪くなってしまった。ベッドに横になっていた私は、繰り返し不思議な光景を見た。しばらくして少し気分がよくなったので、ビーチに行ってみた。そこで座っていると詩が浮かんできた。その詩の始まりはこうだ。“私はペンギン・カフェの経営者。思いつくままに君に語ろう・・・”
そしてカフェの持ち主は、そのカフェのことを私に語り続けた。“人生は行き当たりばったりで偶発的な要素は不可欠だ。それを安全にやり過ごすために、自然発生的で予測できないことを避けてしまうと、そこから自然に湧き上ってくる創造性が失われてしまう。”
そして彼は“ペンギン・カフェに行くんだ”と続けた。ほどなくして私は日本に行った。そこで私はそのことを表現しようと作品を書き始めた・・・
その後、この語りの主人公サイモン・ジェフスは、故郷から遠く離れた日本でしばらく過ごすことになる。京都の古寺の石庭などで禅の瞑想にふけりながら雅楽や琴といった和楽器にも親しみ、彼のビジョンを暖めつつ、それらを音に紡いではスイス製のREVOX製のテープレコーダーに作品を採り貯めた。
4年後、それらの作品群は『Music From The Penguin Café』としてリリースされる。ブライアン・イーノのオブスキュアー・レーベルからのリリースである。ブライアン・イーノのことは、以前にここでも話題にしたけれども、ジェフスといいイーノといい、病床でのイマジネール体験から音楽の発見的創造的ビジョンにたどり着くという点では、確かにこの二人、似たところがあるようだ。
そんなサイモン・ジェフスも病で亡くなって、10年以上が経った。昨年はイギリスで没後10年目の追悼コンサートが行われたり、日本ではトリビュート・アルバムがリリースされたりしたそうだけれどそれは知らなかった。今回、ペンギン・カフェ・オーケストラの第1作からライブアルバムを含む5枚が紙ジャケでリリースされて、久しぶりに彼らの音楽を耳にして、懐かしさを感じるとともに、その良さを改めて確認したのだった。そういえばこんな幸せな音だったなあ。天気のよい土曜日の午前、部屋を優しく包んでくれる音楽。
ペンギン・カフェ・オーケストラが流行ったのは1980年代のはじめ頃、そのころの日本はバブル景気へとむかう上げ潮の時期で巷は少し浮かれ気分だったろうか。いやこちらが大学に入りたてで頭の中が浮かれていただけかもしれない。何だか都市的な気分が蔓延していて、音楽もMTVが隆盛だったり、国内でもアルファ・レコードみたいなレーベルがアヴァン・ポップでニュー・ウェーヴな音楽を量産していた時期。
文学でも、この頃時代はもう“W村上”になりつつあったのではなかろうか。村上春樹の『風の歌を聴け』の文庫化が1982年で、『羊を巡る冒険』の上梓も同じ1982年。そういえば、ペンギン・カフェのペンギン人間や鼠の来るジェイズ・バーに羊男なんていうと、なんとなく同じような雰囲気が漂ってくるが、ペンギン・カフェの音楽とジェイズ・バーの音楽とは全く違う。
サイモン・ジェフスは昔のインタビューで次のようなことを言っている。人にとって音楽は滋養のある食べ物のようなものであって、人が音楽を聴くのは、パンやワインを飲むことと同じようなことだと。音楽を聴くという行為は人として自然な行為であって、生活になくてはならないものだ、ということだろう。サティの家具の音楽ならぬ食卓の音楽、それも一つの環境音楽であり、そんな音楽がそれぞれの人種や文化に根ざせば、多種多様なエスニック・ミュージックやフォークロアとなるだろう。そうして、ペンギン・カフェはアコースティックな楽器をベースにして、素朴な味わいのなかにひねりの利いたスパイスをきかせて彼ら自身のフォークロアをつくりだす。
ペンギン・カフェの美味しい音楽の数々、それらは調理されてから30年近く経った今でも新鮮さを失っていない。
追記 ペンギン・カフェ・オーケストラのジャケットを彩るシュールで不思議な絵画は、
当時サイモン・ジェフスのパートナーだったエミリー・ヤングという芸術家の作品
なのだが、なんと、彼女はピンク・フロイドの今は亡きシド・バレットが作った
「シー・エミリー・プレイ」という曲の中で歌われているエミリーのことだそうである。

1
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。