2004/12/30

年末のなんだかんだのバタバタが一段落し、今日は朝からゆっくりしていて、さて本でも読もうと今月文庫化された金井美恵子『噂の娘』を読み始めると、どうにも途中で止められなくなり、とうとう最後まで読み終えてしまいました。これはすでに単行本でも読んでいて、それをまた文庫でも手に入れたのは年末の慌しい折、移動の合間にでも少しずつ読み返そうと思ったからで、結局はその大半を今日自宅で読んでしまったわけで、まあ、読み進めながら家の中をあちらこちら移動していたから文庫本のほうが手軽だとはいえるのですが、文庫版をわざわざ買うこともなかったのです。でも、文庫版には作者インタビューがあって、これを読むだけでも結構おもしろく、読めていない男性評論家の小理屈の多い解説を付け加えられるよりは、今回はこれが正解ではないかと思いました。おそらく作者もそう思ったのでしょう。
「断然、読者は女の人しか考えていません」ということなのですが、この小説は当然読むものの性別によってどうこうというようなシロモノではなく、一言、傑作です。いったんこの世界に入りこめば、もうあとは生き続けるしかないというようなほど、ぐいぐいと読み進めるほかないような記憶と言葉の、言葉とイマージュの重層化された時空間です。語りの構造としても非常に高度に複雑で、過去の出来事や別の場所の出来事を語っている「いまここ」が2重3重の入れ子状に複雑に絡み合っているため、読み進めるうちに眩暈の感覚が引き起こされることになります。とりわけ終盤の語りのいまここが「現在」に重なり、一挙にそれまでの物語上の生活世界を遠い時空の背景に押しやってしまうくだりなどは、非常にスリリングで、ああ、長い夢から今目が覚めたのだなというような、あるいは遠い旅からここに帰ってきたのだなというような感慨で胸がいっぱいになるほどです。
主題としては、大人の事情で親戚の家に置きざりにされることになる姉弟の数日間を描いたものであり、親もとから引き離された子供が、聾桟敷のような宙吊りの状態で不安な心理を抱えながら、事実風邪熱にもうかされながら見聞きし反芻する不確かな記憶の物語です。物語のなかに挟み込まれる人々のエピソードや数々の映画の挿話が、とりとめもない「噂」のように輪郭の曖昧さを伴いつつ語られる一方で、衣装や小物、人物などの事物が具体的に、詳細なディテールを伴いながら饒舌に描かれます。とくに劇中劇のように挿話として挟み込まれるバーネットの『秘密の花園』には、作者による拡大解釈とメタモルフォーゼが与えられており、主人公の内面世界における影の部分を表象しているような感があります。しかし。それとて、同じ挿話の中で別の「詩人」なる登場人物により「置きざりにされた少女」という主題の対象化が行われているのですから、一筋縄ではありません。
いまここに読み終えた後も、その世界全体の記憶はどんどん薄れていくばかりで、その中の印象的なイマージュを反芻しては、これはどのようなことだったのだろうかとか、複雑にからむ事実関係を解きほぐそうとしては、これはそれからどうなったのだったかとか、そんな感覚にとらわれるばかりで、それを満足させるためには再び最初から読み直すしかないのでしょうけど、今も、ページをめくる指がためらいに痙攣し、痙攣し続けるのです。
あの人たち、あの娘たちは今どうしているのでしょうか。

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