ネットで検索すれば、民間の気象予報の会社が
増えて、狭い範囲の予報では気象庁より
正確な予報を知ることができる。数年先には気象庁も
民間に委託されるかも知れない。
戦後、沖縄が日本に復帰するまで27年という年月を要した。
しかし、わずか5年で、沖縄本島をのぞく
宮古・石垣・南大東・名瀬の気象観測所は日本に返還
されている。確かに厳密な意味での復帰ではないが、
これらの観測所は気象観測の重要な地点であった為、
GHQの許可を得て、日本の管轄下に置かれた。
このときに起きた問題が、地元で採用された職員も、
国家公務員並みの扱いを受けることになり、
宮古・八重山群島知事よりも、観測所の雑用係の方が
高級取ということになった。
また、これらの測候所には、定期的に補給船がやってきたため、
どこよりも早く日本本土の情報を得ることができたそうだ。
しかし、この優遇措置も長くは続かず昭和45年の
琉球気象台の発足とともに終わりをつげ
職員の給料もたちまち四分の一まで減額された。
それまでは観測所=気象庁、たとえ雑用係でもエリートと
言う意識があり、今でも気象庁は沖縄ではエリート意識が強い。
