『聖都物語 試編05』 落ちてきたひと
ふらっと鍬草町にやってきた。
あのひとに会えるんじゃないかな、なんて淡い期待があったからだけど。
淡いというわりには、こんなところまでずいぶんと歩いて……。
我ながらなにをやっているんだか。
……。
……。
あきらめて、さて帰ろうかな。と思っていたところだった。
「きゃ……」
いきなり高い塀の上から彼女が降ってきた。
「い……ったあい……」
「んぐ、むぐう……っ」
息が、つまる……っ。
僕のくちと鼻を柔らかく弾力のあるものが覆っている、密着している。
こ、これは……っ。
「どうして私はこういつもうまく降りられないのかしら……」
柔らかいものが顔に密着したまま動く。はあ、気持ちいい……。いやそれどころじゃないぞ、このままじゃ窒息してしまう!
「んむう〜っ、むむう〜っ」
「?」
「……、なにかしら。なにか声がしたような……」
早く気づいてくれ。息が……、気が遠くなる……。
「あらあなた、こんなところでなにをなさってるんです? ちょっと? もし?」
彼女に揺さぶられて、僕は意識を取り戻した。
「……はっ」
「いったいどうしてこんなところで寝ているんですか?」
「いやその、寝ていたわけではなくて……」
新鮮な空気の美味しさに感動しつつ、僕は事情を説明した。
「それはそれは……。私のせいで。ごめんなさい。お怪我はありませんでしたか?」
「だ、大丈夫です。あなたこそお怪我は……」
どっちかというと気持ち良かった……とは口にしないでおいた。
言われて彼女は自分の身体のあちこちを点検し始めた。基本的に素直な性格なのだよな。
あらためて彼女のごく間近にいることが意識される。
手を伸ばせば、いや身体をちょっと傾けるだけで、さっきの柔らかい感触を……。
「大丈夫みたいです!」
「あ、そう、そうですか」
にこやかな彼女の笑顔に僕は我に返って伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
「それでは私、まいりますね。申し訳ないんですけどここに長居できないんです」
「はあ……」
生返事を返す僕に会釈して、彼女はいってしまった。挨拶ひとつも優雅なもんだなあ……。
「あ、また名前を聞きそびれた」
今度会ったときこそ名前を教えてもらおう。
僕はその場をあとにした。
おしまい

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