「しかし……それでは王様の命令に逆らうことになります」
「ちょっとだけ、ちょっとだけよ。逃げたりなんかしないわ。ミリに祈願してきたいだけ」
「き、祈願でございますか?」
さっきから鼻腔をくすぐる果物のような花のような香りに、イグエはもうすっかりまいっていて、まともにものを考えられているかどうかもあやしい。
ミリといえばカナンでもっとも有名な女神ではあるが、その性奔放で、女のよろしくないところを代表している……別の人々に言わせればそうした特性こそミリ神の素晴らしさであるということになるらしいのだが……そんな女神なのだ。
普通これから婚礼を控えた娘が祈願をするような神ではない。普通ならミトゥン女神などに夫婦生活の円満を祈願するものだ。
「お願いよ。なんならお前が見張りについてきてくれればいいわ。それならわたしも逃げられないでしょう?」
「………………!」
これがイグエにとってはとどめだった。
憧れの姫君とのふたりきりの道行き。
たとえそれが、女神の社に祈願をしに行くだけのたった一度のことでも、これまでその相貌のおかげで異性との浮いた話ひとつなかった年老いた男にとっては、断ることのできない提案だったのだ。
「決して逃げたりしないと、お約束いただけますか?」
「もちろんよ! わたしが約束を破ったことがあった?」
そんなこと、初めて言葉を交わしたイグエにわかろうはずもない。
ニミウラ姫はイグエの案内で城の外へ出た。
次回へつづく
※今日の挿画はイグエ(え:田中桂)
『ニミウラ姫の純潔』は、架空世界カナンを舞台にしています。
同じ世界を舞台にしたほかのおはなしをウェブサイト『神と人の大地』で読むことができます。

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