2009/12/11
ライターの廣田恵介さんが、「マイマイ新子と千年の魔法」上映存続を求める署名を集めていらっしゃいます。
どうか、この活動の趣旨をご理解いただき、一人でも多くの方が参加してくださるよう、お願い申し上げます。
オンライン署名サイト・署名TV
《呼びかけ文》(上記サイトより引用)
2009年11月21日より公開中の『マイマイ新子と千年の魔法』。
各地で上映回数が減り、ついに東京でも年内で上映が終わってしまいそうです。
「まだ見てない方」や「もっと見たい」方のために、「続映希望!」の嘆願書を
提出したいと思います。
たとえ単館公開でも、レイトショーでも、見たいとは思いませんか?
「DVDまで待つ」などと言わず、映画館で見たい方、このアニメに興味のある方、ご協力を!
さて、本日のネタはTwitterにて垂れ流しております感想の数々です。
いずれはちゃんとした文章にまとめようと思うのですが、なかなかその時間がとれません。
明日はヤマト復活篇の公開日ですし、そちらにも気持ちが行っちゃいそうなので、備忘録としてここにメモしておきます。
若干ネタバレというか、未見の人の興を削ぐかもしれないところがありますので、「続きを読む」以降に表示されるようにしておきます。
(この機能初めて使ったよw)
それでは……
2009年12月07日(月)
「マイマイ新子」を好きになった理由がもう一つわかった。アニメで初めて「本当のお祖父さん」を観たからだ。「優しく受け入れてくれるお爺ちゃん」でも、「偏屈な老人」でもない、孫を持った本物のお祖父さん。
posted at 01:17:20
実は宮崎アニメに出てくるお婆さんが苦手だ。うちの姉妹はいつも「あんなによそんちの子供に優しいお祖母さんなんていないよね」といっている。子供もね、よそんちのお祖母さんにあんなベタベタ懐いたりしない。
posted at 01:22:13
うちの祖母ちゃんはいつも「血はいやらしいねえ」と言っていた。この「いやらしい」というのは「エッチ、スケベ」ってことではなく、「どうにも抗いがたい業のようなもの」ということだ。血がつながっているからこそ可愛い、もうそれは理屈じゃない。
posted at 01:25:53
子供もまた、血がつながっているからこそ無防備に自分をさらけ出し、当然のものとして愛を貪る。貪るだけでなく、自分からもまた限りない愛を注ぐ。子供の注ぐ愛とは「全幅の信頼を寄せる」ということだ。新子にとって、お祖父ちゃんはほとんど「生き神様」に等しかったのではないだろうか。
posted at 01:32:22
そんなことを考えてしまうのは、私自身がものすごいお祖父ちゃん・お祖母ちゃんっ子だったからなんですが(汗)でも、この感じをきちんと描いているアニメってなかなか出会えなかったんですよ。偏見かもしれないけど、なんかこう「アニメはヒューマニスティクであらねば」みたいなモノがあるような。
posted at 01:43:14
善き老人は博愛主義者、身内を愛することは頑迷なる身贔屓、そんな圧力をそこはかとなく感じていたんです。私と祖父母の間にあった愛情は何か劣ったものなんだろうかと考えてしまうことも。アニメというより、西洋の児童文学全般に存在していた空気だったかなー。
posted at 01:52:05
でも、新子ちゃんのお祖父ちゃんは、私が大好きだった祖父と同じ存在でした。手のかかる下の子にどうしても目が行きがちな親の代わりに、上の子を注視し、声を掛け、大切にしてくれた祖父。子供からしたら、それこそが「公平な愛情」なんですよね(汗笑)
posted at 01:56:59
だから、二回目の鑑賞ではお祖父ちゃんの「わしらも、そろそろ行こうかの」(うろ覚え・汗)という言葉に涙ぐんでしまいました。このセリフをファーストシーンに持ってきたというのは、本当に凄いです。お祖父ちゃんっ子のハート鷲掴み(笑)
posted at 02:02:25
でも、女性の視点から見た時に、少女と異性との「恋愛感情が完全に無である親愛の情」をこんなに多種多様に描いた作品って、他に知らないんですよ。私の映画の見方が甘いのかな?
posted at 02:12:59
@katabuchi_sunao そうだったんですか…実は、私も自分の祖父を思いだしてしまったんですよ。近所の人が喧嘩しているところに割って入るように歩いてくる姿が祖父そっくりでした。うちの祖父は髭生やしてはいませんでしたが(汗)何だろう、着物の感じとか、歩き方とかかなあ。
posted at 15:52:31
@katabuchi_sunao それと、お風呂に入ってる場面で「うちのじいちゃんそっくり!」と(汗笑)肉付きや仕草があの時代・あの年代の男性そのものでした。他のキャラもなんですが、「ここに描かれているのは作り事ではない、この人達はスクリーンの上に本当に生きているんだ」と(続く)
posted at 16:00:22
@katabuchi_sunao 感じられるほど、何一つ疎かにしないリアリティがありました。監督がインタビューでおっしゃっていた「考証」の成果かもしれませんが…観客が「これは真実なんだ」と感じるには、スタッフの方々はどれほどの労力を払われていることだろうかと。
posted at 16:05:02
素晴らしい御祖父様ですね…新子ちゃんの「面白いことはみんなお祖父ちゃんが教えてくれる」を思い出します。RT @katabuchi_sunao 映画館を経営し、幼い自分に漫画映画を見せてくれ、ヤクザ映画の台頭を嫌って廃業し、その年のクリスマスに亡くなった祖父です。
posted at 16:07:07
@katabuchi_sunao そうなんですか、今、作中の別のキャラをちょっと連想してしまいました(汗)人間の両面性といえば、新子ちゃんがそれにぶつかりながらもあくまで抗おうとする一生懸命さが大好きです。一回目の鑑賞で涙腺決壊したのはその場面でした。
posted at 16:19:10
@katabuchi_sunao 子供に居直るのでも、子供を捨てるのでもなく、ただひたすら自分の子供性を大事にするというか…上手く言えないんですけど。自分の周囲を見ていても、現代の子供達から一番失われつつあるところじゃないかと思うので、尚更胸に響きました。
posted at 16:22:51
2009年12月09日(水)
@hisaneko818 余韻、来ますよねーー!何度観ても、新しいものを発見できます。それって、画面だけじゃなくて自分の心の中にある物だったりもするから面白いです。
posted at 15:30:41
2009年12月10日(木)
で、タツヨシ君に惹かれる要因のかなりの部分が、「ドカベン」の不知火守と共通していることを確認してきました(汗笑)「学帽から覗く眼」に萌えセンサーがバンバン反応して止まず。
posted at 18:15:06
タツヨシ君、ホントいいですよね。あと、ラストシーンのお祖父ちゃんの格好良さパネェ。それと今回清原元輔様の素敵さにもノックアウトされました。小学校五年生とオーバー60sに萌え狂うってどうよ自分(汗)ミーハーでゴメンナサイ……
posted at 18:22:36
2009年12月11日(木)
クソ生意気な子供だった私は、「ハイジ」を観て「何だよこの純真無垢なウソくさい子供はw」と思っていました。長じてバカ生意気なアニヲタになった私は、「トトロ」を観て「おいおい自分の理想を田舎に押しつけんなよwてかバアちゃんが自分の孫より余所の子可愛がるわけないだろw」と思いました。
posted at 03:29:55
まあ、人間というものは、身も蓋もない本音を脇に置いて「虚構としての物語を受け入れる」ということも出来ますから、ブツクサ言いながらも「ハイジ」や「トトロ」を楽しんでいたことは否定しません。ただし、「お話ってヤツは色々割り引いて観ないとダメだよね」という傲慢なフィルター付きですが。
posted at 03:39:12
読んだ方はさぞ呆れられたことと思いますが、ことほど左様に、私はドス黒いものを胸に抱えつつ「純真で汚れのない心」とは無縁の子供時代を送った不幸な人間であります。その私が、「マイマイ新子」に心を洗われ、観るたびに滂沱の涙を流してしまうのは何故なのか。
posted at 03:51:21
いや、でも大事なことだと思うのよ。誰の心にもクロい部分はあって、それでも人を思いやったり道を踏み外さなかったりして生きているのよ。純真無垢な人だけが素晴らしい人生を歩むような世の中じゃ大変だよ(だから実は海外の名作児童文学が苦手なんですわ)
posted at 03:57:28
で、「マイマイ新子」です。私が一気に新子ちゃんに共感したのは、ものすごくナチュラルに「キューピーさんの手ぇもいだ」からです。この場面の光子ちゃんがまたスゴイ。声優の松元環希ちゃんは天才じゃないかと思う。子供嫌いの人だったら一発でうんざりするような、完璧な演技だった。
posted at 04:04:31
とにかく、冒頭の「光子ちゃんの可愛く無さぐあい」は素晴らしい。「なんで新子ちゃんはキューピーさんの手をもいだか」についていっさい説明が無く、新子ちゃん自身悪びれるでも反省するのでもなく極めて自然に振る舞ってるのがまた素晴らしい。
posted at 04:09:55
八歳の子供にとっての「三つ違いの下の子」って、ホントにあんな感じなんだよなあ。遊び相手にはならないし、当たり前の顔してワガママ言うし、うざったいし、自分のこと可愛いって思ってるっぽいのがたまらなくカワイクナイし。あーーメンドクサイ!
posted at 04:13:44
でも、「悪を為す」というつもりも全然無くて、だけど「悪ぶってるけどホントはイイ子」みたいな姑息な言い訳も用意していない新子ちゃんは、なんてナチュラルな女の子なんだろうか。心の分身が「緑の小次郎」という男なのも、ものすごく自然。このあたりは高樹のぶ子さんの体験なのでしょうね。
posted at 04:20:48
その「可愛くない三つ下の妹」との関係が変化していく演出が素晴らしい(こればっかり。語彙乏しくてゴメンナサイ)新子ちゃんにとって可愛さのカケラもなかった光子ちゃんが、胸が痛くなるほど可愛く愛おしくなる。二人でお布団に潜るところで私は泣いた。ボロボロと。他の所も泣いてばっかりですが。
posted at 04:25:56
新子ちゃんにとっての光子ちゃんと同じように、貴伊子ちゃんから見たシゲル君も、関わり方が変わっていくにつれて見え方までどんどん変化していく。その変わり具合が弛まず淀まず、水が流れるが如くに自然なのも凄かった。本当に、ここまで神経を配ることが出来るのかと驚くぐらい。
posted at 04:32:21
アニメが実写に勝るのは、まさにこういうところだと思う。完璧に自然に、「架空の本物」を作り上げることが出来るのだ。実写だと、どんなに巧みな俳優が演じたとしても、どうしても俳優本人の人格を犠牲にしないといけない。
posted at 04:37:47
大人ならまだしも、子供が「完全に自分自身を押し殺している姿」を見るのは痛々しい。その子の演技が上手ければ上手いほど、かえっていたたまれなくなる。だが、アニメなら絵として「誰をも犠牲にしない、その子自身」を描き出すことが出来るのだ。
posted at 04:40:24
一瞬たりとも「ハンコ絵」じゃないんですよね。笑い方も全部違うんですよ。それでいて、時間軸の上を一定方向に向かって変化していくベクトルがきちんと保たれている。映画の中に、「本物の一つの現実」が出現している。凄すぎる。
posted at 04:50:03
「映画の中の現実」が隙無く構成されているからこそ、「映画の中の虚構」にも説得力が生まれる。新子ちゃんや貴伊子ちゃんの現実に嘘がないからこそ、観客は彼女たちの体験から千年前の情景を演繹して思い描くことが出来るのだ。
posted at 05:00:31
