「さよならは言わないよ」 「俺もだ」





  こちらは HN:やや矢野屋 による
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  「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

2012/7/3

私はたぶん「阿久悠」派  宇宙戦艦ヤマト

かつてヤマトファンの間でよく出ていた話題に、「自分はナニナニ派」ってのがあります。
まあ、他愛も無い話なんですよ、たとえば「作画だったら芦田さん派」とか「ヤマトは音楽で保ってるから宮川派」とか。
近年、迂闊に口に上せると剣呑なことになりかねないのがアレですが、「自分はヤマトのどういうところに惹かれたのか」を象徴的に語るには、便利なキーワードではないかと思います。

というわけで、昔のような気軽なファントークとして読んでいただきたいのですが。
つらつら考えるに、私、「阿久悠さんの詞」にヤマトの本質を感じているような気がします。

ココをご覧になるような方ならとっくにご存知とは思いますが、一応歌詞掲載サイトにリンクを張っておきます。

http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/uchuusenkanyamato.html
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2273/index.html

作品への関わりを情報の量に均してしまうならば、主要スタッフの中では最小になるであろう、阿久悠さん。
松本零士さんが描いた設定画の量や、西崎義展さんがブレインストーミングに費やした延べ時間と比べるまでもないどころか、普通のアニメ作品では「主題歌の作詞が誰か」など、そもそも話題になることもほとんど無いのではと思います。
ですが、詩人とは実に偉大なもの。まして阿久悠さんほどの御方となれば。
ちょっとイメージしてみてほしいのですが……
天秤の片方に「ヤマト」というアニメ全体を載せ、一方に主題歌の歌詞を載せたとします。
この天秤、見事に釣り合いませんか?

歌詞の代わりに、たとえばストーリーやキャラクターや音楽を、それぞれ載せてみたとします。
すると、天秤は「ヤマト」の方に大きく傾きます。
ストーリーやキャラは「アニメを構成する部分」なのですから、それは当然のことです。
しかし、優れた主題歌詞はわずか200音余りの情報量でありながら。「作品全体」の重みを受け止め、「宇宙戦艦ヤマト」という長大な映像作品に匹敵するほどの存在感を有しているのです。
あたかも、長歌の後に添えられる反歌のように。

もちろん、全ての歌詞がこれほどの存在感を持つわけではありません。
やはり「宇宙戦艦ヤマト」は別格です。
そして、阿久悠さんも。
その理由は何なのか ―――
以前、「真っ赤なスカーフ」と「夢光年」(「宇宙船サジタリウス」のエンディング)との比較という形で考察してみたことがあります。
その内容を、以下に引用いたします。




阿久悠さんは、1974年放映「宇宙戦艦ヤマト」、1986年放映「宇宙船サジタリウス」の主題歌・エンディング曲を手がけています。
どちらも「宇宙SF」に分類されるTVアニメシリーズではありますが、作品そのものの雰囲気は非常に対照的。
片や、アニメブームの先駆けとなった「宇宙戦艦ヤマト」。
異星人の攻撃により滅亡寸前となった地球を救うため、苦難の旅を続けるヤマトと乗組員を描いた大河ロマンです。
片や、名作アニメの老舗・日本アニメーションが制作した「宇宙船サジタリウス」。
擬人化動物キャラを使って、宇宙での仕事が日常となった時代の哀歓を描く人情SF。
両作品の主題歌は当時のアニソンを代表する名曲ですが、こうした作品の違いが際立って表現されています。

使命を背負って旅立つ男の、決意と雄々しさを歌ったヤマト。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/uchuusenkanyamato.html

喝采を浴びることなどない「普通の人」の、ないない尽くしの中で、それでも消えない意地とプライドを歌ったサジタリウス。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/star.html

後者の歌詞には、ちょっぴり「ヤマト」っぽい世界への皮肉かな?と
感じられる部分もあります(汗笑)

ところが、両作品のエンディング曲は、どちらも「宇宙を旅する者」への独特の美学が感じられ、まったく違う曲調でありながら、何か「一対」として感じられる面白さがあるんです。

真っ赤なスカーフ
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/yamato/makka.html

夢光年
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/yume.html

それを端的に表しているのは、二作に共通して出てくる「かけら」という言葉でしょうか。
宇宙をさすらう人の胸に、かすかにともる「ロマン=夢」の「かけら」。
取るに足りないちっぽけな人の胸にある「かけら」こそが、実は広大な宇宙とも比されるほどに大きな存在であるという、「人間讃歌」。
それが、阿久さんがアニメソングに与えてくれた大きな宝物であるように思います。

「真っ赤なスカーフ」、さらに凄いことに、この歌の主人公はメインキャラの誰でもありません。
物語の主役と目される古代進は、地球を旅立つ時は兄の戦死のショックに支配されており、名も知らぬ女性の振るスカーフにロマンを感じるような精神的余裕はなさそうです。
それ以前に、旅立ちの時点ではようやく少年の域を抜けかかったような青年で、女性への思慕をおぼえるような成熟には至っていません。
また、艦を預かるリーダーであり、ヤマトの象徴ともいえる沖田艦長も、直近の戦闘でただ一人の息子を失い、天涯孤独の身です。
重い病にも冒された身である彼は、任務の成功に執念を燃やしこそすれ、ロマンの欠片を求めることはないでしょう。
この歌にある「旅する男」は、古代進ほど精神に子どもの部分を残してはいず、沖田艦長ほど老成してもいない。
つまり、「物語の中では名もない端役」である、「無名兵士」の心情を歌ったものではないでしょうか。

それを証明するかのように、地球へのさよならパーティが描かれたTVシリーズ第一作第10話では、遠ざかる太陽系の星々を見つめる無名の乗組員たちが描写され、その場面にかぶさって「真っ赤なスカーフ」の2コーラス目が効果的に使われています。

「真っ赤なスカーフ」は「無名兵士の歌」である―――

もしかしたら、「旅する男」は冥王星や七色星団で命を落としたのかもしれない。
死んでしまった戦友の思い出話を聞いた誰かが、自分の心の中に「真っ赤なスカーフ」を受け継いだのかもしれない。
「必ず帰るから」―――そう胸中に呟いた誰かは、もしかしたら地球には帰ってこず、男の呟きを聞いていた誰かが、彼の代わりにその目に「真っ赤なスカーフ」を認めたかもしれない―――
そんな深いドラマを感じさせる、まさに大人の歌なんですよね、この曲は。

成長してこのことに気付いた時、阿久悠さんの透徹した「大人の精神」に改めて感動することしきりでした。




引用は以上です。
阿久悠さんの歌詞が、作品そのものと同じ重みを持つ理由、わかっていただけましたでしょうか。
阿久悠さんは、主人公や物語を謳っているのではないんです。
物語を内包している「社会」、つまり「人間そのもの」を歌に詠みこんでいるんです。

凡庸なクリエイターならば、「物語の中に社会を描く」ことでしょう。
ヤマトの歌は、そうじゃないんです。
「物語の外に、社会が広がっている」んです。
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